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2022年01月07日(金) 

 

>2020年、世界の「人助け」は過去最高に  >世界の寄付や慈善活動に関する面白い調査もある。 >イギリスの慈善団体「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)」が毎年発表するWorld Giving Index(世界人助け指数)という報告書だ。 >これは、アメリカの市場調査会社ギャラップが行った114カ国12万1000人超の人々の電話インタビューのデータをベースにした報告書だ。 >インタビューの質問は、世界金融危機後の2009年から「この1カ月の間に、見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」「この1カ月の間に寄付をしたか」「この1カ月の間にボランティアをしたか」という3つから成り立っている。  >2021年に発表されたレポートには、「2020年、世界では、過去最高の数の人が見知らぬ人を助けた」とあり、その数は世界の成人の55%(約30億人以上)にのぼるという。  

 

‘渡る世界に鬼はない’ ということですか。   

 

>また、2020年は、過去5年間に寄付をした人の合計よりも、多くの人が寄付をし、ボランティア活動の水準も比較的高かったそうだ。 >コロナ禍という未曽有の世界的危機が、人々を助け合いの方向に導いたのかもしれない。

 

そうでしようね。   

 

>国別ランキングでは、前回トップだったアメリカに替わり、1位にランキングしたのがインドネシア。 >決して裕福というわけでもないこの国では、喜捨を重視するイスラム教の教えもあり、2020年には10人中8人超が寄付を行い、ボランティア活動をした人々は世界平均の3倍を超えたそうである。 >その助け合いの精神には感服する。

 

そうですね。 インドネシアは喜捨を重視するアジアの大国ですね。   

 

>中国は急浮上、日本は最下位  >ちなみに前回2019年に発表された過去10年間の総合ランキングで、最下位だった中国は、今回95位に浮上。   

 

中国は成長の国。わが国は衰退の国ですね。    

 

>「ボランティアをしたか」という項目では、2009〜2019年の10年にわたり最下位だったが、今回の調査では73位に上昇した。>順位が上がった理由としては、2016年に導入された「チャリティー法(中国慈善法)」によって、人々が寄付をしやすくなったことが寄与したという。  

 

法が社会を住みよいものに変えましたね。    

 

>経済的に裕福な人が増えているのも影響しているかもしれない。  

 

そうですね。‘衣食足りて礼節を知る’ ということですね。  

 

>それでは、総合順位最下位の114位はどこか? >答えは日本である。 >前回の107位からさらに下がってしまった。 >「日本は歴史的に、先進国としてはめずらしいほど市民団体が少ない。 >チャリティーの規則は複雑で、国の対策に対する期待が高く、組織化された非営利団体の登場は比較的新しい現象だ」とレポートは分析する。

 

アソシエーションという外来語に我々は親しんでいても、’結社の自由’ (freedom of association) という日本語には違和感がありますね。    

 

>調査項目の1つ「見知らぬ人を助けたか」という点においても、日本は114位と最下位だった。  

 

日本人は序列人間ですからね。そして、日本人の人間関係は序列関係ですからね。序列に加わらない人間は馬の骨のようなものでしょうね。      

 

>あまりにも残念だ。

 

そうですね。これは日本の伝統文化の影響ですね。      

 

>人々が人助けを積極的に行う国は、宗教的や文化的な影響だけでなく、法整備も大きく影響している。 >中国が一例だ。 >日本の場合は、このレポートでも指摘されたように、「人々の生活を助けるのは国の仕事」だと、「お上」に頼りすぎる傾向はなかっただろうか。  

 

そうですね。我々は何もかもお上に任せっぱなし。ノンポリ・政治音痴の国民ですね。   

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇) 

 

>国がやるべきこともたくさんあるが、国の制度からこぼれ落ちて苦しむ人は多い。 >個人レベルでできるサポートはたくさんある。 >この国際ランキングをみて、皆さんはどのように感じただろうか。     

 

日本人の想いはただ一つですね。’国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う’。 (日本国憲法前文より)     

 

>「中国が急上昇し、日本が最下位に」年末に公表された"残念な世界ランキング"の中身  >これからも、金持ちはより金持ちに   >ところで、前述の不平等レポートには、お金持ちになればなるほど、富の拡大のスピードは速まるということが、過去40年の実績で明らかになったとも書かれている。 >特に金融の規制緩和とさまざまな金融資産の運用によって、収益率に対する規模の優位性は顕著になりつつある。   

 

そうですね。金は金を呼び込みますからね。規模の優位性を生かすのは金を預かる者の任務です。            

 

>「この効果について最も説得力のある証拠は、1980年代以降、大学(米国のアイビーリーグ大学など)の基金の収益率が、最も小さい基金では年率4~5%、最も大きい基金では年率7~9%(インフレと運用コストを控除後)と変化していることから得られている」。 >そして、この状況は、運用資産を持つ個人にも当てはまるのではないかという。 

 

そうですね。資産運用の妙味ですね。       

 

>仮に1995年からと同じぺースで富の不平等が進んだ場合、2070年には世界の上位0.1%の人々が世界の富の4分の1以上を持つようになり、今世紀末には、世界の中間層40%よりも多くの資産を所有することになるとレポートは予測する。

>「経済政策の大きな変化やショック(環境破壊、戦争、経済危機)がなければ、世界の億万長者たちの未来は明るい」 >ただ、レポートはこうも指摘する。 >過去のデータが示すのは「不平等は政治的な選択であり、必然ではない」と。>富を蓄えることも、その富を分配することも人間のなせる業である。 

 

そうですね。人間は名実ともにこの世の主人公ですね。        

 

>未来の世界を明るいものにするために、寄付について、そして富の分配について私たちができることを考えてみるべきではないだろうか。  

 

そうですね。考えは大切ですね。富の配分も国際的に考えるべきですね。   

現実 (事実) は見ればわかる。現実の正解は一つしかない。現実の内容ばかりを頭に詰め込む練習をしていると、ご唱和の世界の人間になる。 非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文の内容は文法に従って理解しなくてはならない。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  そうでなければ我々は、つかみどころのない人間になる。   

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。日本人の歌は文になっていないから意味がない。    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。      

 

>大門 小百合(だいもん・さゆり) >ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ執行役員・論説委員 >上智大学外国語学部卒業後、1991年ジャパンタイムズ入社。 >政治、経済担当の記者を経て、2006年より報道部長。

>2013年より執行役員。 >同10月には同社117年の歴史で女性として初めての編集最高責任者となる。 >2000年、ニーマン特別研究員として米・ハーバード大学でジャーナリズム、アメリカ政治を研究。 >2005年、キングファイサル研究所研究員としてサウジアラビアのリヤドに滞在し、現地の女性たちについて取材、研究する。 >著書に『The Japan Times報道デスク発グローバル社会を生きる女性のための情報力』(ジャパンタイムズ)、国際情勢解説者である田中宇との共著『ハーバード大学で語られる世界戦略』(光文社)など。 (略) 

 

 

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閲覧数30 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/01/07 15:25
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