新宮町千本で「ただまき農園」を家族で運営していた市原忠士くん(享年48歳)が、2022年9月1日に自宅で永眠しました。 彼は実質的に「インフォミーム」の最初の社員で、最大の功労者でした。 1996年7月に神戸新聞で会社設立の記事を見たお母さんが、結婚を機にちょうど実家で就農を考えていた彼に、就職の紹介してくれたのです。 神戸元町駅前の居酒屋さんの2Fのカウンターで「面接」をしたのも、自分ながら破天荒なことだったと思います。 履歴書を手にする彼に「まず座って乾杯しようや」と、ジョッキを合わせたのが昨日のことのように思い出されます。 彼からの入社の条件は、「半農半勤で仕事がしたい」ということだったので、こちらは「応援する」と応えて、ジョッキ2杯目が空になる前に入社が決まりました。 大阪外国語大学で中央アジア言語を専攻していた彼は、独学に近い状態でサーバ管理の技術を習得。入社早々から大黒柱として活躍し、だれもから信頼を得て会社の基盤を構築してくれたのです。 とにかく、よく仕事できる人でした。 気づかなかったのが悔やまれますが、だんだんと責任が大きくなっていく中、精神的負担も大きくなってきて、完璧を目指す彼を精神的に追い込むことになってきていたようです。 心療内科で治療をしながら、出社の頻度を減らして対応していましたが、残念ながら回復はできず仕方なく退社して療養に専念させることを決断したのです。 その後、自然食に造詣の深い奥さんに支えられながら、「かもかも米」「養鶏」「養蜂」と、まさに二人三脚で農業を広げて、たくさんの自然農法仲間との交流を高めながら、順風満帆に活動している..と思った矢先に、白血病に近い病に冒されることになります。 つらいつらい治療で病気と闘いながらも、最期を自宅で愛する家族に囲まれて迎えられたことは、彼にとってもっとも望んでいたことではないかと思います。 市原くん、ほんとうにお疲れ様でした。 天国でもいいお米を作って、みんなに振る舞ってあげてくださいね。 |