>Kody David >Nov 10, 2019 >日本の美、日本人の感性と世界の見方(西洋との比較) >最近、「あの日本独特の良〜い雰囲気を出しているものは何がそうさせているのだろう」と思う事が多々あったので、色々と文献を漁ってみた。 >日本と海外の「美」 >まず、今の「うつくしい」という意味は古来からずっと同じ意味で使われてきたものではなかった。 >万葉集の時代では、「うつくし」は親や妻子に対する愛情を表す言葉であったし、平安時代になると、竹取物語の「三寸ばかりなる人うつくしうていたり」や枕草子「なにもなにも小さきものはみなうつくし」から分かるように「小さきもの」「可憐なもの」への愛情を表す言葉へと変わった。 >そして、室町時代になって今と同じ意味での「美しい」へと変化した。 >では反対に、今でいう「美」に当たる言葉は昔は何だったのか? >奈良時代では、「くわし」。(正確には「微細な」という意味) >平安時代では、「きよし」。(正確には「清い」「穢れのない」) >このように、古来から日本人は小さい、愛らしい、細かい、清い、潔いものや余計なものがないものへ美を感じていた事がわかる。 >墨一色で描きあげる水墨画や侘び寂びというものが発達したのも納得できる。 >また、盆栽や枯山水など、自然そのものを小さな世界で表現するのも日本ならではである。
日本は盆栽・箱庭・一坪庭園ですね。
>これはヨーロッパや中国と比べると全く違う。 >西洋の筋肉隆々の彫刻作品や力や権威を表すかのような巨大な建築を見ればわかるように、西洋では「豊か」「大きい」「力」「善」というように「力強く大きい」という美的感覚がある。 >中国でも、「美」という感じは「羊の大」を表しているので、大きいものが美だった。 >日本の庭園とは反対に、ヴェルサイユ宮殿の庭は花壇は左右対称、木はきっちり三角錐、噴水などの人工的なものがあり、とにかく広い。 >町には目立つモニュメントがそびえ立っているのは西洋では当たり前である。 >日本人の女性が小さくて可愛らしい人が好まれる理由にもこういうのが関係してきてるんだろうなーって思った。 >僕は小さくて可愛らしい人あんまだけど。 >屏風絵から見る日本人の空間の捉え方 >洛中洛外図 >四条河原図 >見たら分かるように、風景を描いた屏風絵は遠近法が使われていない。 >だから、よく屏風絵は写実性に乏しいと批判される。 >果たして本当にそうだろうか。 >確かに遠近法がないので、ある一点からの視点から考えた場合は写実性に欠ける。 >しかし、こういった屏風絵は遠い箇所も近い箇所も全ての部分において写実的なのだ。 >ある一点からの景色なのではなく、自由に移動する視点において描かれており、全ての細かい部分までが緻密に描かれている。 >日本人は西洋のように空間を切り取るのではなく、空間すべてを連続したものと捉えていたことが分かる。 >ある一部の空間は全体の一部でありながら、拡大して見ることも出来る。 >自分が全体の一部であるっていう姿勢が好き。 >西洋は視点(自分)と対象が乖離してる。
西洋人の考えは筋が通っていて哲学になる。日本人の発想は筋が通らず、空想・妄想になる。わが国の英米流高等教育は残念ながらはかばかしい成果が得られず、漫画・アニメはわが国を業界の大国にした。 我が国民はハイカルチャーが苦手で、サブカルチャーが得意ですね。 ハイカルチャー: 学問、文学、伝統的美術、クラシック音楽など。 サブカルチャー: 映画、漫画、アニメ、タレント、アイドル、声優、特撮、ライトノベル、ポップミュージック、商業主義に走ったロック、娯楽映画など。
>連続した時間 >連続した空間だけでなく、日本人は同じ絵の中に連続した時間も取り入れた。 >絵巻物は左から右へと時間とともに絵が変化していく。 >また、1つの絵に同じ場所の四季を取り入れているものもある。
日本語は写生画の言葉である。日本語文法には時制がないので日本人には世界観が無く、その内容が時間に関して融通無碍ですね。
>居住空間や建築から見る日本人と自然 >日本の建築は木と梁で作られていて開放的である。 >日本が高温多湿で風通しが良い方が好まれたことや木が豊富にあったことも理由の1つだが、日本人の自然に対する考え方も大きく影響している。 >日本の伝統的な家は玄関や窓、壁という概念がなく、常に自然に向かって開かれている。 >壁の代わりに襖や障子で区切っていたので、部屋は居間になり、客間になり、寝室にもなる融通自在のものだった。 >また、家は庭とセットで内部と外部が連続している。
そうですね。
>反対に、西洋は寒さが厳しかったので自然とは遮断された内部空間が必要だったことに加え、国境が地続きで外は皆敵なので物理的な障壁も必要だったから石を積み立てて独立空間を造った。 >自然とは切り離された生活だったが、窓のステンドグラスや壁に立てかける絵画など芸術が発達した。 >自然そのものを愛する日本人は花見や紅葉狩りに外に出かけ、自然と一体となって深く関わってきたが、西洋では自然を遮断して、我々人間が自然も全てをコントロールするんだという姿勢を感じる。
日本人には手つかずの自然を楽しむ習慣がありませんね。ひとえに整えられた自然を楽しみますね。日本人は整えられた自然が本当の自然であると思い込んでいるようですね。
>こういった対照的な姿勢は花の絵を比べるとすぐ分かる >琳派と西洋 >日本の琳派と西洋の画家たちの違いは一目で分かる。 >自然に生えているものをそのままの形で描いているのか、自然から切り離された花瓶に生けられた室内の花を描いているのかということ。 >琳派 >西洋の画家たちの花の絵 >また、日本の絵の面白いところは対象だけを取り出して描いているところ。 >花と川以外は金箔で余計なものは描かないという日本の美学が現れている。 >普通の西洋の絵画では以下のように川も木も空も景色のすべてを描くが日本ではそうではなかった。 >日本には1つのものにじっくり集中するという傾向があるのかもしれない。
そうですね。日本人は注意力が一点に集中しますね。
>詳しくはまだ分からないけど、音楽でも西洋はいろんな音階を積み上げて音楽を作っていくけど、日本では1つの音に対するこだわりがものすごく強いらしい。 >ストラトフォードの水車 ジョン・コンスタブル >その状況の美と体系的な美 >西洋では黄金比や幾何学で美を体系的に捉えようとしてきた。 >美を秩序づけて、「美とはこういうものです」というように、そのもの自体に美があった。 >だから、彫刻作品は場所にとらわれずいつでも美しいものだったのである。
そうですね。
>反対に日本は、美しいと感じる心の世界だった。 >美と感じたその全てが美の対象になるので、不完全なものや廃墟でさえ美になる。 >「古池や蛙飛び込む水の音」は、カエルや池が良いのではなく、その一瞬の状況に美しいと感じたものなのである。
その場での気分・雰囲気の問題ですね。あくまでも状況的 (situational) ですね。
>まとめ >面白い。 >それで、みんな日本の良さを認識しよう。 >よく、海外と比べて日本は遅れてるだの、海外はこうなのに日本のやり方はどうのこうのって話や、日本人は主張しないとか、なんかそういうの色々あるけど、そのまま日本人らしくいきませんか?
日本人にはリーズン (理性・理由・適当) が無い。リーズンは文章になる。日本人の考え方も文章になると良いですね。外国人にもそれが理解されるようになります。
>それによる弊害も確かにあるかもしれないけど、日本人だからこその良いところだってたくさんある。
それはそうですね。それぞれに個性がありますね。
>だって住むなら日本でしょ?
日本人はそうでしょうね。
>そんな完璧なことは無理でしょ。
完璧は頭の中の内容でしょうね。
>この前ラスベガスに行った時に、心の底から無理だった。 >二度と行かない。 >あんなギラギラして騒いでるバカが多い町より、日本の侘び寂び的な方がいい。
趣味は人によりけりですからね。相性の良いところに行きましょう。
>これからは西洋的なものを取り入れるのを辞めて、日本の文化を全面に押し出して行った方がいいんじゃないかな。
お互いにそれぞれの良いところがありますね。
>多分観光客も増えると思う。
それはハッピーですね。
>日本再復興していこう。
日本を大いに宣伝してくださいね。
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