>ダイヤモンド・オンライン >【田原総一朗 X 三宅香帆】全身全霊か半身か? 新時代の「言論の自由」 >田原総一朗によるストーリー・ >12時間・ (略) >なぜ自己啓発本やビジネス書が売れるのか? >田原 最近の本や記事を見ていて思うのは、不安を煽(あお)るような内容のものが多い。 >「トランプによる関税で日本は大変なことになる!」のように煽るほうが注目が集まって、本や雑誌が売れたり、記事が読まれたりするので、「では関税政策はどうあるべきか」「私たちはどう対策をすべきか」といった、冷静な議論をしようとしません。
そうですね。無哲学・能天気ですね。
>三宅 みんな、議論ではなく批判をしたがりますね。
日本人には批判精神 (critical thinking) がないですね。
>SNSでも、とにかくどちらが悪者なのかだけをわかりやすく決めたがる傾向があります。 >ぜそうなったか」という原因を追求しない。 > 一方で、現代は、正解がないようなことを伝えるのが、難しいとよく思います。 >例えば、私は「文芸評論」というジャンルでものを書いていますが、批評や評論のジャンルでは、答えのない議論を長い時間かけてするものです。 >田原さんがずっと続けてこられた「朝まで生テレビ!」もそうですよね。 > 大学など学生のうちはそういうことができましたが、社会に出るとみんな時間がなくなり、議論をしている暇もないし、したくないし、聞きたくないという雰囲気があります。 >田原 いろんな議論があり、答えがあるものばかりではないと思います。
考えは十人十色ですからね。
>3日でも4日でもかけて、議論すればいい。 >そこで答えが出なくても、議論を継続すればいい。 >三宅 でも現代では、あたかも答えがあるかのようにしゃべる癖を、教育や社会が人々に身につけさせてきたのではと思います。 >田原 何事にも正解があるかのように教育されてきたので、「答えがない」ということを理解するのが難しい。 >さらに時間もないとなると、考えても仕方がないと思ってしまうのではないか、みんな、考えなくなってしまうのではないかと、心配になります。
そうですね。思考停止ですね。それで無哲学・能天気の人となる。
> まじめな議論は売れないので、メディアは日本の苦境ばかり書き立てる。 >それに踊らされて議論を放棄する。 >悪循環です。
そうですね。思考のできない人間の成れの果てですね。
>三宅 歴史的に見ても、楽観的な本が売れる時代と、悲観的な本が売れる時代があるようです。 >例えば大正時代は、社会不安を反映したような、暗い、内省的な本が売れていました。 >『本の百年史―ベスト・セラーの今昔』(著者:瀬沼茂樹、出版ニュース社)によれば、大正時代の3大ベストセラーは、倉田百三『出家とその弟子』、島田清次郎『地上』、賀川豊彦『死線を越えて』の3冊です。 >いずれも、生活の貧しさや社会不安への内省をテーマとしたもので、とても暗い内容です。 >田原 第2次世界大戦後も、戦争が大失敗だったとわかり、悲観論が好まれるようになりました。 >1970〜80年代、高度成長期で日本経済が世界のトップとなると、この風潮は一転します。 > これを受けて、アメリカの当時のレーガン大統領は、プラザ合意(※)をはじめ、円高誘導と日本の輸出規制、内需拡大や規制緩和の要求を突きつけるなどして、日本経済をつぶしにかかりました。 >そして、バブルがはじけ、日本は長い経済低迷期に入っていきました。 >ここから再びメディアの悲観論が隆盛していきます。 >※1985年にニューヨークのプラザホテルで開かれた、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、日本の5カ国の蔵相会議。 >1980年代初頭のアメリカは、高いインフレ率と貿易赤字に悩まされていた。 >ドル高を是正し、為替レートの安定化のため、各国が外国為替市場において協調介入(ドルの価値の引き下げ)に乗り出すことを合意した。 >アメリカはドル安を実現することで輸出を促進し、貿易赤字を縮小することをめざした >三宅 たしかに本のベストセラーを見ても、自己啓発本やビジネス書が売れるようになったのが1990年代以降です。 >バブル崩壊と新自由主義の影響で、「会社に頼らず、自己責任で、個人ががんばらなければならない」と思わされるようになった結果、そうした本が売れるようになった。 >田原 2001年、それまでの田中角栄路線を真っ向から批判した小泉純一郎氏が総理大臣に就任し、自民党の派閥をつぶしにかかった。 >彼らも新自由主義と呼ばれました。 >三宅 それまでの「大企業に入れば安泰だ」「企業に生活を守ってもらえる」という考えが通用しなくなり、急に個人でがんばる必要が出てきたんですね。 >田原 社会人は、そんなことはそれまで教えられてこなかったのに、大変なことです。 >三宅 企業も雇用もいつどうなるかわからない。 >仕事もがんばりながら、転職のこともつねに考えなければならなくなった。 >それで、自己啓発本やビジネス書が売れるようになってきた。 >田原 急に「個」が求められ始めた。 >日本人は「みんなの言うことに同調していれば安心だ」という人が多いので、個を持つこと、主体性を持つことは、非常に難しいものです。
そうですね。皆で渡れば怖くない。
>主体性を持つためにはどうすればいいのでしょう。 >主体性がないことの一番の問題は主体性を持っている人を批判したくなってしまうこと >三宅 私は「自分の言葉を作ること」だと思います。 >田原 三宅さんは、著書『「好き」を言語化する技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)でも、自分の言葉で書くことを推奨していますね。 >三宅 主体性がないことの一番の問題は、「主体性を持っている人を批判したくなってしまうこと」だと思います。 > 例えば、映画を見た後、まずはSNSで他人の感想を見てから、それに沿うような「自分の感想」を考える。 >そういう人が今はとても多いんです。 >政治について考えるときも、まずはほかの人がどう思っているのかを先に知った後に、「自分の考え」を持とうとする。 >空気を読みつつ、ものを言っていることがとても多い。 >それが現代日本の状況です。 >自分が主体的に考えるのではなく、ほかの大多数のまねをしようとするんです。 >まさに、田原さんが今、指摘された「みんなの言うことに同調していれば安心だ」ですね。 > こうした風潮は私もとても危ういと思います。 >自分が同調圧力のままにみんなと同じように生きていると、「そうではない人」に怒りをぶつけたくなるのです。
そうでない人は非国民ですね。
> みんなと違う行動をするのは大変かもしれませんが、自分の言葉を持つこと自体は、本来はそんなに難しくないと思うんです。 >私は小さいころから日記を書くのが趣味で、それによって自分の主体性が養われてきたと感じています。 >行動よりも先に言葉がある。 > 映画の感想を話したり、本の感想を書いたり、ほかの人がどう思っているかを調べる前に、自分の考えていることを言葉にしてみる。 >そこから主体性は生まれてくるはずです。
そうですね。
> それにしても、日本ではなぜ同調圧力がこんなに強いのでしょうか。 >田原 戦後から高度経済成長期にかけては、経済を成長させるため、みんなが同じ方向を向いて協力する必要があった。 >だから同調圧力というのができあがっていた。 >それに日本の会社では、みんなが考えているのと同じ論調の人が、偉くなっていきますよね。
それは受け売りの大家ですね。
>三宅 そういう傾向が行き過ぎて、リーダーが生まれない社会になってしまっているのではないでしょうか。 >とはいえ、大勢の協力を得ることと自分の言葉を持つこと、両者のバランスをどう取ればいいのかは、たしかに難しい問題だと思います。 >会社に心を奪われないようにしたくても、会社に属していると、知らず知らずに自分の言葉を失い、心を奪われてしまう。 >田原 自分で考えて話すのは難しいですが、他人が言っていることを受け売りで話すのは簡単ですからね。 >そうなると、自分の言葉は失われてしまう。 >三宅 ちなみに、田原さんが自分の言葉を持っていると思う作家は誰ですか。 >田原 五木寛之さんですね。 >三島由紀夫(1925-1970)は「自分自身の言葉を持て」と強く言っていましたね。 >新時代の「言論の自由」 同調圧力に反することも言える社会にしよう >三宅 主体性を持つことに躊躇している人は、まず「自分の考えていることを言っていいんだ」と思ってほしいんです。 > 私もやっぱり昔は、人と違うことを発言するのに勇気が必要でした。 >中学生や高校生のときも、人と違うことは言ってはいけないような雰囲気があった。 > ですから、まずは「自分の考えていることを言っていいんだよ」「自分の感情を言葉にしていいんだよ」と伝えていく。 >そうした雰囲気を醸成していく。 >それが、私たちにできる、みんなが主体性を獲得していくための第一歩かと思っています。 >田原 僕も、考えていることを言葉にするというのは、ずっとやってきませんでした。 >三宅 そうなんですか? >田原 そういう発想がなかったんです。 >中学生や高校生のときは作家になりたかったのですが、「文才」のある人だけが、自分で言葉を生み出せる人間であり、作家になれるものだと思っていた。 >そして、いろいろな本を読んでいるうちに、自分には文才がないと自覚しました(笑)。 >作家になるのをあきらめ、ジャーナリストになりました。 >三宅 ニュースやテレビでたくさん発言されていて、多くの本も書かれている。 >それなのに、それらの言葉は、ご自分の言葉ではないと思っていらっしゃるんですか。 >田原 「自分の言葉」って何でしょうね。 >自分で話しているつもりでも、本で知ったり、取材で聞いたりした言葉に、大きく影響を受けている。 >果たしてそれが自分の言葉と言っていいものかどうかは、いまだにわかりません。 >僕は発想力がないんです。 > でも、世間で言われていることを疑い、世の大勢と逆の視点でものを見る。 >それが僕の仕事のやり方です。 >その方法がジャーナリストの仕事にはとても役立って、ありがたいことに注目されてきました。 >それでどうにかこれまでやってきたんですよ(笑)。 >三宅 いつその術を身につけたんですか。 >田原 テレビ局をクビになったときです。 >電通の批判をして結果的にクビになりましたが、それで逆に世間に注目され、いろいろなところから声がかかるようになりました。 >そのときに「自分の考えは間違いではなかった」と感じ、体制や主流とされる意見とは違うことも、どんどん言うようになりました。 >三宅 冒頭でもおっしゃっていましたが、会社の中で偉くなりたいとは思わなかったんですか。 >田原 まったく思いませんでした。 >会社の意見に従っていれば偉くなれるかもしれませんが、そうではない生き方もあります。 >社会を良くしたいと思ったんですね。 >そのために言論の自由が必要だとも思っていました。 >忖度(そんたく)なく、言うべきことは言う。 >三宅 それがまさに「自分の言葉」なのではないでしょうか。 >言論の自由が大事なのはなぜですか。 >田原 言論の自由があれば、つまり、言いたいことを言える社会になれば、世の中は必ず良くなるはずだからです。 >三宅 同感です。 >言論が規制されないようにすることは当然大事ですし、それと同時に、同調圧力に反することを言ってもいい社会にしていく。 >これもひとつの「言論の自由」だと思っています。 >田原 その通りですね。 >三宅 今日はお話できて楽しかったです。 >ありがとうございました。 >田原 こちらこそ、ありがとうございました。 >これからもどんどん「半身」で、執筆やご発言を続けてください。
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