>文春オンライン 学校では朝礼に出させてもらえず、渋谷で不当逮捕され..ガーナ人の父を持つ “在日2世” のラッパーが「黒い肌で感じてきた」日本の裏側 >なみちえによるストーリー・ >15時間・ > 書評のために読んだあとに「これは自分が書くべきだ」と思った。 >なぜかと言えば、この本に登場する「移民2世」たちの背景や心情が、私の中にも同じく存在しているからだ。 >私はガーナ人の父を持ち、日本で育ったラッパー、なみちえ。 >私も「在日2世」だ。 > 内容は激しく、凄絶だ。 >だが、私には不思議とスラスラ読めた。 >それはきっと、私もこの“日本の裏側”を、この黒い肌で感じながら生きてきたからだ。 >中3のとき、男子からまるで毒物にでも触れるかのような扱いを受けた記憶。 >平塚学園ではブレイズ(編み込みヘア)をして行ったら、朝礼に出させてもらえなかったこと。 >渋谷ではレイシャルプロファイリングで不当逮捕された。 >留置場から娑婆に戻ったとき、人生で一番心が荒んでいた。 >あの気味が悪いほど“何もない”空間の感覚は、今も忘れられない。 > 著者は移民社会の現場を、淡々と、しかし丁寧にすくい上げていく。 >そこにドラマチックな脚色は一切ない。 >だからこそ、描かれる情景がリアルに響いた。 > 登場人物たちが直面する痛みは、私よりもさらに過酷だったかもしれない。 >けれど、あの「絶望と隣り合った気持ち」は、私にも理解せざるを得なかった。 >“半分”外国人である私は、時に“倍”苦しんだ。 >差別や迫害の真っ只中に置かれたとき、自分が何者で、どこに立っているのか見失いそうになる。 >分断を煽りたいわけじゃない。 >ただ、現実をちゃんとフラットに見つめている存在になりたいだけ。 >私はいつも、いや、たぶん人間全員がグレーゾーンに生きている。 >そのグレーが、時に明るく見えたり、白に近づいたりする瞬間があるだけなんだと思う。 > この本もそうだった。 >ダークサイドだけじゃない。 >私にはそこから“グレー”を抜け、“ブライトサイド”に向かおうとする物語に見えた。 >登場する若者たちは、それぞれの“悪事”や“不遇”を通して、社会との折り合いを模索し、時に乗り越えようともがいている。 > 本書を通して強く思った。 >国の制度や枠組みを見直すときは、表面的な対処ではなく、もっと根本を見つめてほしい。 >なぜ人がはみ出してしまうのか、なぜ見捨てられたと感じるのか。 >この本は、その“根”へと読者を導いてくれる。 > また、私の中には植民地主義に対する強い怒りもある。 >「移民」や「在日」という言葉の裏には、かつての植民地主義の構造が根深く残っている。
日本人は外人にも非国民にもなりたくないですね。日本人は序列人間ですからね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。 「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。各々の政治家は日本の国際化に鑑みて日本語の表記法に深い関心を持つべきである。
>その影が、いまも制度や人々の意識に宿っているとしたら――その深い傷を直視しない限り、また誰かが痛みを引き受けさせられる。 >そしてその痛みで“膿んで重症”になっている人もたくさんいる。 > 読んでいるうちに、ラップのリリックが湧き上がってきた。 >痛みや怒りが、リズムと言葉に変わっていく。 >そうやって私は、この社会を生き延びてきた。 >この本もまた、強く生き延びる力を生み出してくれる。 >いしいこうた/1977年東京都生まれ。 >作家。 >国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。 >著書に『物乞う仏陀』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『ヤクザ・チルドレン』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』など。 >なみちえ/1997年茅ヶ崎市生まれ。 >東京藝術大学先端芸術表現科を首席卒業。 >音楽活動や着ぐるみ制作などマルチな表現活動を行う。 >(なみちえ/週刊文春 2025年6月19日号)
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の機会獲得は難しい。
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