>朝日新聞 >「らしさ」発揮できなかった石破氏 農家は、被爆者は、何を思う >朝日新聞社によるストーリー・ >1日・ > 石破茂首相が退陣する意向を表明した。 >自民党が参院選で大敗してから約50日後の表明に、広島県内の自民党員からは「遅すぎた」などと厳しい意見が並んだ。
そうですね。日本人には意思がない。だから、ことの次第とその成り行きで事を運ぶことになる。即断できない。日本人の遅すぎはやむをえない事情がある。
>昨年10月の就任以降、政治改革などで「石破らしさ」は発揮できず、米価高騰や米トランプ関税、核廃絶への対応についても関係者は物足りなさを口にした。
‘〇〇らしさ’ には意味がない。気分・雰囲気・感情の範疇に入る内容には意味がない。それらは歌詠みの世界の内容である。議論にならない。 趣味には論拠がない。 There is no accounting for tastes.
> 「肩すかしをくらった感じだ」 > 8日、広島市内であった自民県連の役員会。 >途中退席した県連会長の平口洋・衆院議員は、石破首相の退陣表明のタイミングに不快感を示した。 > この日は総裁選の前倒し要求の是非について、県連としての方針を決める予定だったが、急きょ取りやめた。 >支持者らの意向を集約していた県議からは「振り回された」と不満の声が上がった。 > 平口氏は、参院選後は首相の去就ばかりに注目がいき、政策の議論が進まなかったと指摘。 >「参院選後にすぐに辞めるべきだった。 >政治空白をつくった責任は重い」 > 就任1年を待たずしての退陣表明。 >県連会長代理の中本隆志・県議会議長は、昨年の衆院選で裏金問題に関与した議員の選挙区支部に活動費2千万円を支給したことなどを踏まえ、「政治的センスを疑うようなことがあった。
それは良くないことですね。
>国民の求めることをタイムリーに出来なかった」と分析した。
石破氏には国民の求めるものが理解できていない。
> 中本氏はこれまで、広島選出の岸田文雄前首相の再登板を求めてきたが、「総裁を辞めて、まだ1年経っていない。 >今回は難しいのではないか」と述べた。 > 公明党県本部代表の栗原俊二県議も、退陣表明が遅かったとしたうえで「内輪もめしているような自民党に未来はないだろう」と苦言を呈した。
無哲学・能天気の政治家たちには内輪もめしかすることがないでしょうね。
> 一方、立憲民主党県連代表代行の森本真治・参院議員はこの日の幹事会後、取材に対し「(退陣に)どれだけ時間がかかっているのかと思う」と批判した。
日本人の流儀のより事の次第とその成り行き従っていれば時間がかかりますね。
>今後、解散総選挙に突入する可能性もある政治状況を踏まえ、「国政課題が山積する中、我々も責任を持って対応しないといけない」と語った。
そうですね。国政は国民の責任ですね。
>(山中由睦、武田肇) > ◇ > 広島県庄原市でコメや野菜を生産する農家、山本一守さん(59)は、石破政権の農業政策を「一時しのぎでしかない」と断じる。 > 政権は長引く米価高騰への対応として、備蓄米を放出し、米価を抑えようとしてきた。 >だが、山本さんは「生産者の目線が全然ない。 >これでは価格は安定しない」と言う。
そうですね。政策はその日暮らしですね。
> 石破首相は「農業者が増産に前向きに取り組める支援に転換する」と訴えてきたが、「生産を増やす抜本的な取り組みは何も見えなかった」と批判する。
そうですね。未来社会の内容が不明でしたね。日本人が未来の内容を示すことは不可能ですからね。日本語には未来時制の構文がない。だからその内容もない。
> 政権はトランプ関税への対応にも追われた。 >米政権は日本からの自動車に課す関税を2.5%から27.5%に引き上げた。 >最終的に15%へ引き下げられたが、マツダに部品を納入する同県熊野町の荻野工業の佐々木裕孝社長(51)は「最悪の事態は避けられたが、良かったとも言えない」と指摘。 >「新政権には、引き続き粘り強い関税交渉を求めたい」と言う。
新政権への期待が大きいですね。
> 「核廃絶について何をしたかったのか、最後までわからなかった」。
日本人には未来の行き着き先が見えていない。
>こう話すのは広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の箕牧智之理事長(83)だ。 > 日本被団協のノーベル平和賞受賞を受け、箕牧さんらは1月、石破首相と面会した。 >箕牧さんは核兵器禁止条約の締約国会議に、日本政府がオブザーバー参加するよう強く迫ったが、「石破さんは参加するともしないとも言わなかった」と振り返る。 > もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(80)は8月、被爆者への医療・福祉などの援護を定めた被爆者援護法を2世にも適用するよう政権に要望したが、「ゼロ回答」だったという。 >佐久間理事長は「石破氏個人としては被爆者に同情するようなことを言うが、政府としての姿勢は非常に厳しいものを感じた。 >政府の方針は従来と変わらなかった」と話した。 >(山中由睦、武田肇、柳川迅)
日本人が得意とする ‘らしさ’ には意味がないので、空しいですね。未来社会の建設に関しては歌詠みは出る幕がない。 歌詠みと縁の切れた政治家の登場が必要ですね。さすれば、我が国の伝統的な歌詠みの政 (まつりごと) は終焉を迎える。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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