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2019年04月30日(火) 

 

 

 

>■責任を追及しない日本社会

>(前略) >いくつかの出発点のひとつは、なぜ安倍政権は潰れないのかという素朴な疑問だと思います。 >安倍政権はひどい政策をずっと続けているのに、なぜか長きにわたって政権を維持している。 >ここには合理的には説明のつかない力が働いており、私たちはそれに従わされている。

 

そうですね。’説明のつかない力’ の存在が気になりますね。

 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

>白井君はそこに「国体」という構造を見いだしているのだと思います。 >この国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。 

 

そうですね。国体は、天皇を頂点とするわが国の序列体制のことですね。

 

>しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。>『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。 >そう指摘しているわけですね。

 

日本人の序列メンタリティは、変わりませんからね。

 

> 白井:そうです。>「戦後の国体」となった対米従属構造を維持することで、権力を保持しているのが安倍政権に代表される日本の支配層です。

 

日本人には、それしかないでしょうね。対天皇従属構造が、対米従属構造に変わったということだけですね。

 

>(中略)> 白井:戦後直後から今に至るまで、日本人はアメリカに負けたという事実から目をそらそうとしてきました。

 

そうですね。日本人は、現実直視が苦手ですからね。自分ないし自分たちに有利な色を付けて物を見るのが常のようです。

 

>8月15日を「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでごまかしていることから始まって、戦後の日本は「敗戦の否認」を続け、アメリカに従属していることを直視しないでいる。

 

敗戦の現実直視は、面白くないですからね。

 

>でも、そうした支配を否認する日本人の心理的な構造は、戦後に始まったものではない。 

 

そうですね。現実直視からの逸脱は、わが国の伝統ですね。

 

>わかってしまえば、簡単なことです。 >戦前の日本人には、疑うことなく「国体」に付き従うというマインドがインストールされていた。

 

それは、’序列と無意志’ が組み合わさったメンタリティですね。

 

>(中略) >たとえば、特に悲惨を極めた南方戦線では、弾に当たって死んだ兵士よりも、餓死やマラリアで死んだ兵士のほうが断然多かった。 >(中略) >だからあの戦争が終わったとき、人々の間にはとてつもない解放感が広がったわけですね。 

 

序列社会と無為無策から出る閉塞感から解放されたのですね。

 

>負けたことよりも、とにかくこんなばかげた状態が終わってうれしいということになった。

 

とにかく、自分が助かったと言うことですね。負けたのは国、助かったのは自分です。

 

>それは要するに「国体」から解放されたということだった。

 

そうですね。でも、それは勘違いでしたね。序列メンタリティは以後も続いて無くなりません。

 

>■思考を奪う「国体」という病

> 國分:それは別の言い方をすると、そもそも日本は戦争に勝とうとしていなかったということになりますか。(中略)

 

初めから勝算なしでしたね。

 

> 白井:負ければ大変なことになる、そして現実に敗色濃厚になりつつある。>それらは自明だったわけですね。 

 

国は、ずいぶん大変な決断をしたものですね。

 

>そうなると、もうそんな現実は見たくない、というメンタリティではないでしょうか。 >そういう意味では1945年の敗戦以前に「敗戦の否認」をしているのですね。

 

現実逃避ですか。’見ざる・聞かざる・言わざる’ ですか。

 

>「国体護持」を唱えながら、国を真剣に守るという思考が停止していたのです。

 

そうですね。無為無策でありながら、他力本願・神頼みをしていたのでしたね。

 

>で、敗戦の事実が確定した後にも、それをだらしなく続ける。 >だから、関係者たちの責任が放置され、今日でも追及が甘い。

 

日本人には、英米人に相当する ‘責任’ の概念がないのでしょう。

責任 (responsibility) は、応答 (responsi) 可能性 (-bility) のことですが、日本人には応答 (response) がない。

応答がないのは、日本人には、意思がないからであります。

なぜ日本人には意思がないかといえば、意思 (will) は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないからであります。それで、日本人には意思がない。

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は仕方がないので、無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。関係者たちの責任が放置されています。

 

>(略)

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数396 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/04/30 01:08
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