>ダイヤモンド・オンライン >「Fラン大学は完全淘汰?」。将来、大卒の価値は上がるのか、下がるのか。少子化時代の学歴の価値を考える >びーやまによるストーリー・ >20時間・ >「大学受験」は10代における最大のイベントです。 >残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。 >それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。 >そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。 >本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。 >本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。 >「大卒」の価値は今後どうなっていくのか >――今の時代、少子化になったことによって「大卒」の価値は下がっているように思いますが実際はどうなのでしょうか。 >びーやま氏(以下:びーやま):かつてに比べたら確実に下がっていますよね。 > 今の70代の方々が学生だった頃は大学にいくだけで、超エリートとされていましたが、今はそうではありません。 > 定員割れしている、いわば「ボーダーフリー(BF)」の大学も全国的に増加傾向ですから、大卒という広いくくりで考えれば、価値は下がっていると言わざるをえません。 >選ばなければ誰だって大卒になれますから。 >――今後は大卒に価値がなくなっていくのでしょうか。 >びーやま:そんなことはないと思います。 >ただ、「どんな大学をでているのか」「どんなことを学んできたのか」は、よりシビアに見られるようになると思います。 > ただの大卒であることの価値が下がったことによって、大学にいくなら名門大学でなければ意味がないという風潮は強まっていますし、社会も「大卒かどうか」じゃなくて、「どこ大卒か」を見るのが当たり前になってきていますよね。 >学歴フィルターなんかはその最たる例ですが。 >――なるほど。 >時代は変化していますね。 >びーやま:ただ、名門大学も指定校推薦をはじめ、さまざまな入試制度ができたことによって、学生のレベルもかなりバラバラになってきましたから、名門大だからいいみたいなことも今後はなくなる気がします。 >そこは個人の能力もちゃんと見られるというか。 >――これからの学生はどう考えるのがいいんですかね。 >びーやま:答えはそれぞれだと思うので、断言はしませんが、僕個人の意見を述べると、「普通に勉強していい大学に入り、ちゃんと勉強を続ける」という本質は変わらないのかなと。 > 大卒の価値がいくら下がったからといって、それは頑張る学生を評価しないという意味ではありません。 > むしろ、全体のレベルが下がったからこそ、ちゃんと勉強に取り組める学生の価値は高まっていると思いますし、そういった学生はいつの時代も求められる人材だと思います。 > また、学歴がなくとも資格を持っているとか、なにかしらの実績がある学生はちゃんと評価されると思います。 > 今こうしてわれわれが暮らしている社会がそうですが、学歴以上に実力が見られる社会にどんどんシフトしていますからね。 >社会問題にもなっている「Fラン大学」 >――大事なことはいつの時代も変わらないということですね。 >「大学そのもの」についてはどう思われますか? >これから大学も減っていくんですかね。 >びーやま:減っていくかどうかはわかりませんが、本当に変わらないといけないと思います。 >定員割れしている大学が増えていくのはどう考えてもいいことではありませんから、何かしらの変化は求められるかと思います。 > もちろん、各大学の経営が大変なのも理解していますので、むずかしいところではありますが。 >――そうですよね。 >びーやまさんは定員割れしている大学、いわゆるFラン大学への進学には賛成ですか? >反対ですか? >びーやま:よほどの事情がなければ反対です。 >体調の問題や家庭の問題で、そこしかないという人は、選択肢がないだけなので、本人次第でどこでも成長できると思いますが、「なんとなく進学」でFラン大を選ぶのは本当にやめたほうがいいと思います。 >それは大人になるまでの時間を4年間引き延ばすだけです。 > 僕がいつも言っているのは、「大学とは行かなくてもいいところ」ということです。 >本人が努力して入るなら、大学に優劣はないですが、「なんとなく進学する」「勉強はしたくないけど、そういう雰囲気だから進学する」というのは本当に無意味です。
そうですね。
>お金も時間ももったいないですからやめましょう。 >――大学に入るハードルが下がっているからこそ、ちゃんと勉強しないと自分のためにならないということですね。 >びーやま:そういうことです。 >「大卒」というラベルはかつては魅力的でしたが、今はそうではありませんし、「Fラン大卒」となれば、マイナスに作用してしまうことも少なくありません。 >要するに「この子は大学受験頑張らなかったんだな」と。 > そんな時代なわけですから、ちゃんと大学に行く意味と価値を考えて、勉強に向き合ってほしいと思います。 > しかも、大学受験の勉強はやればやるだけ伸びますから、正しく努力していきましょう。 >――ありがとうございました。 >びーやま[著] >教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』のツッコミ担当。 >早稲田大学教育学部卒。 >高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。 >大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。 >甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。 >決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。 >高田ふーみん[協力] >教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。 >京都大学経済学部中退(現役合格)。 >学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。 >決め台詞は「Fランやないか」。
日本人は子供の学習の成果を見る。アメリカ人は大人の学習の成果を見る。どちらがより賢い人間であるといえるか。 子供の勉強は現実の内容 (事実) を覚えること。大人の勉強は非現実の内容 (考え・哲学) を自分自らが獲得すること。 日本の大学は、入るのが難しくて卒業が容易である。大学は、子供の学力を比較して入学者を選抜する。しかし大学における大人の学習効果には世間も大学当局も気にかけない。わが国には高等教育の成果に期待するものは誰もいない。 アメリカの大学は、入るのは易しいが卒業が難しい。大学は学内の大人の学習成果を見て、学生の卒業の合否を判定する。自己の見解を論文にして公表すれば大学による独創の認定により学位 (学士・修士・博士) が得られる。 社会は大人の勉強成果に関心を集中させている。高等教育の成果に社会の発展が依存している。 日本人の没個性の序列主義社会の中でのナンバー・ワンを目指すのは良くない。考えの内容は個人個人で違っているのであるから、個人主義社会のオンリー・ワンを目指すべきである。さすれば過当競争がなく自己実現が可能になります。
子供は未熟な大人である。競争をすれば子供は大人に負ける。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文の内容は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供の行く末と違う所である。
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