熊野古道・伊勢路を約1年間、全12回に分けて歩くというツアーに一昨年の秋から参加しました。語り部の案内付で熊野古道の歴史と四季の自然が愉しめて、弁当の昼食付なのも魅力だと、宣伝のパンフレットに魅かれました。大阪からバスで名神高速道路、草津Jct.新名神高速道路、亀山Jct.伊勢自動車道、紀和多気Jct.紀勢自動車道、紀勢大内山IC.国道42号線を片道約4時間かけての往復です。歩行時間は毎回、約3時間位なのでバスに乗っている時間の方が遥かに長かった。これが12回の繰り返しです。熊野古道・伊勢路は伊勢神宮から南西へ三重県の紀伊長島、尾鷲市、熊野市を経て和歌山県新宮の熊野速玉大社までの約180Kmの道のりですが、ツアーコースはツヅラト峠から始まり馬越峠、八鬼山、曽根太郎坂・次郎坂、波田須、大吹峠、松本峠、花の巌・浜街道などから最終は熊野本宮大社に参拝の予定でした。 (三重県立熊野古道センターのパンフレットからコピー)第一回目は2010/9/17にスタートして翌年の1、2月は休憩した後、3月から再開して10月まで月1回のペースでした。最終月は台風12号の集中豪雨で紀宝町が大水害に遭い実施が危なくなりましたが行程を変更して何とか強行されました。初回はツヅラト峠と荷坂峠道。ヒノキ林の中をよく整備された石畳みの山道を登ると熊野灘が初めて見られます。過っての「伊勢の国」と「紀伊の国」の国境だった荷坂峠道へは近くまでバスで。峠と峠道の違いは峠まで登るか登らないかを意味しているようです。 2回目の古里・熊谷道は紀伊の松原など熊野灘の景色を楽しむ所。三浦峠を越えるのが熊谷道との事。 3回目の始神峠、4回目の馬越峠と5回目の八鬼山越えのコースは綺麗な桧林とシダが生い茂る森の中に苔むした長い石畳の道があり、西国一の難所といわれる八鬼山越えコースは熊野古道のハイライトコースです。それなのにこの期間の肝心の画像がパソコンの操作ミスで消滅してしまい、気が付けばカメラのカード内にもDVDにも残していませんでした。データ復元ソフトも再三試みたのですが。そのためにパスです。6回目の三木峠は桜の季節。このコースは近年、地元の方々によって発掘されたそうです。 7回目は曽根次郎坂・太郎坂。尾鷲市と熊野市の境界あたりです。八鬼山を越えて行き倒れになった巡礼者の供養碑が佇んでいます。オンツツジが咲いていました。山中ではヒノキ林ばかりの中で唯一の花木ではなかったかな。熊野市の近くに「鬼ヶ城」という海風蝕と数回の大地震で隆起した凝灰岩の大岸壁で無数の海蝕洞が階段状に並ぶ名勝がありました。世界遺産登録地とのこと。 8回目は二木島・逢神坂峠。捕鯨の里の二木島から古道に入るとほぼ全区間に苔むした石畳が通じています。伊勢と熊野の神様が出会う場所だそうです。 9回目は波田須の道・大吹峠。二千年以上の昔、秦の始皇帝時代に不老不死の薬を求めて徐福が上陸した伝説の里が波須田。伊勢路の石畳では最も古い鎌倉期の大振りの敷石道が波田須の道として300mほど残っていました。大吹峠の付近には綺麗な竹林がありました。ヒノキばかりの中で新鮮です。 10回目は観音道。波田須から松本峠に行くのに前回の大吹峠道ではなくて西国三十三所の観音石像が立ち並ぶ観音道がよく使われる時代があったそうで、今回はこの道。沢山の石像が並んでおられるので、ご近所のよしみ西国22番の総持寺を選んで撮影しました。季節は真夏。カナカナ蝉の大合唱の中、汗を拭き拭きのウオークでした。 11回目は松本峠。ヒノキ林と石畳の道もそろそろお仕舞。9月に入るとツクツクボウシの合唱に変わりました。松本峠を越えると25kmの七里御浜の海岸線が続いています。海に向かって吠えているような形をした獅子岩、その先には花の巌。日本書紀に伝わるイザナミノミコトが葬られたといわれる御陵で高さ70mもあるそうです。 12回目は横垣峠、風伝峠・通峠と丸山千枚田。今回が最終回で横垣峠、風伝峠の本宮道を歩き、勝浦温泉で一泊して翌日に熊野三山に参拝する予定でしたが台風12号の水害のために本宮大社と那智大社は行けずに被害がなかった熊野速玉大社のみの参拝となりました。横垣峠、風伝峠の日は生憎と雨天で風伝颪が見られるという山も雲がかかっていました。神木流紋岩の石畳道も記憶がおぼろげ。忘帰洞温泉は初めてだったので感激。翌日は行いが良いためか快晴になり、熊野速玉大社に正式参拝。通り峠から行った展望台からの丸山千枚田や朝霧が流れ込むらしい風伝側の風景が綺麗でした。 約一年間、毎月一回往復に約8時間を懸けて3時間のウォークは流石に飽きました。せめて一泊泊りで良いから集中したら良いのに。ヒノキの林道は四季感がもうひとつでした。語り部はいわば現地ガイドさんですね。それぞれの回で特徴がありましたが20数名にガイド一人では聴き取り難い。聴く方にも問題がありますけれどね。