IBMの認知型テクノロジー「Watson」の日本語化サービスが正式にスタートし、「自然言語分類」「対話」「検索およびランク付け」「文書変換」「音声認識」「音声合成」という6つのAPIを公開した。 http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1602/1…ws060.html これだけの機能を持つWatsonの応用分野は、想像できないくらい広い。ビジネスだけでなく人類のライフスタイル自体に、農業革命や産業革命のような大変革をもたらすに違いない。アルビン・トフラーが唱えた「情報革命」が、その最終段階に入ったかのように思える。 いかにも「バラ色の未来」が到来するような素晴らしい話題なのだが、飛躍的に生活が便利になることが、そのまま社会の幸福に直結するのかというと、そうでもないように思えてならない。すくなくとも、トフラーや梅棹忠夫らが見つめていた未来の姿はそこにはない。 ひとつは、ビジネスに人工知能を活用することによって、ひとにぎりの企業への偏重が起こるであろうこと。IBMの組んでいる某社のこれまでのビジネスモデルの構築法をみると、背筋が寒くなる思いがする。 また、利便性から知らず知らずの間に人工知能への依存度があがって、大衆に恣意的な誘導が行われて意志を操作されるということも危惧される。映画のターミネーターで、人間が機械と闘うストーリーがあったが、あのシーンが現実のことになりかねないと考えるのは、そんなに飛躍した思考でもないだろう。 人工知能の開発や活用は、ビジネスの視点だけで行われるものであってはならない。そこには、人類がこれまで積み上げてきた「倫理」や「哲学」がなくては、社会に幸福をもたらす技術にはなり得ないだろう。そう遠くない未来に訪れる出来事について、真摯に考えることが大切だ。 |