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現実の世界は、’世の中は、、、’ の発想法でとらえられている。 非現実の世界は、’あるべき姿’ でとらえられている。 ‘あるべき姿’ は ‘現実にはない姿’ で、外国では現在時制以外の時制 (過去時制と未来時制) で語られている。 だが、日本語には時制がない。日本人には、’あるべき姿’ で構成される世界を語ることができない。 日本人には世界観がない。世界観を聴取して人物を評価することができない。 だから、’とらえどころのない人間’ である。 自己に ‘あるべき姿’ (哲学) の内容が持てないのであれば、道徳教育が必要になる。 自己の基準に照らし合わせて物 … [続きを読む] |
欧米人には意思がある。加害者意 (罪の意識) にさいなまれる。贖罪の宗教も今日にいたるも繁栄を見せている。 「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」とイエスに言われたら、それぞれの国は自国の歴史を顧みて、ナチスの子孫に石を投げる国はいなくなる。 特亜三国人には意思がない。被害者意識はあっても、加害者意識(罪の意識)はない。償われない被害者意識は怨念となる。怨念に満ちた社会では、政治指導者は恨みを国外に向けるよう努めている。 「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」とイエスに言われたら、そ … [続きを読む] |
>天皇、皇后両陛下、被災地へのお気持ち常に 2014.3.11 21:13 (2/2ページ)[皇室] 11日の政府主催追悼式で、陛下は国民が心を一つにして被災者に寄り添うことの大切さを述べられた。常に被災者の様子を気にかけられている両陛下。今後も被災者を見舞われる機会が検討されるとみられる。 巨大地震・原発事故。いまこそ禍を転じて福となす絶好の機会であります。政治指導者は、希望に満ちた未来像を熱意をもって有権者に示す必要があります。被災者全員が心を一つにして世界で最も厳しい防災都市の建設に着手することが目的です。今回の悲劇を二度と繰り返すことがないよう … [続きを読む] |
>ケネディ駐日米大使は「日米が一緒に取り組むべき重要な任務があると思う。それを困難にするものについては失望する」と述べた。一方で「友人や同盟国であっても、時として意見の違いはある。日米関係は極めて前向きで強固」として、日米協力の重要性を訴えた。 意思は未来時制の文章内容である。特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には時制がない。特亜三国の人には意思がない。だから、加害者意識がない。罪のことなど、お互いに ’われ関せず’ である。 ‘世の中は、、、、’の形式で発想すれば、すべては ‘お互い様’ で終わる。相手が子供なら憎らしい。相手が大人 … [続きを読む] |
>2014.3.1 03:36 (2/2ページ)[産経抄] ▼あさって90歳になる村山富市元首相には、つける薬すらない。慰安婦問題の元凶になっている平成5年の「河野洋平談話」について「事実があったかなかったかをあげつらって何の意味があるのか」と日本記者クラブで発言したのには、唖然(あぜん)とした。(引用終り) ただ「忘れろ」では、相手は忘れない。小異を捨てる理由となるだけの大同が必要である。我が国の指導者には、それを言って聞かせるだけの用意はあるのか。 大所高所に立った見識を示す者が現れない。不安定要因ばかりが存在して変革の機運は盛り上がらない。細かいこ … [続きを読む] |
日本人とドイツ人は文化が違う。日本人は恥の文化の中に住み、ドイツ人は罪の文化の中に住む。日本人は、民族の誇りを取り戻すことにはこだわる。序列思考に関する名誉回復にはこだわる。だが、罪に関することにはこだわらない。すべては事の成り行きと考えている。 日本人も韓国人も中国人も、意思がない。頼まれ仕事 (依頼された仕事) をしているのである。だから責任感はない。死刑執行人と同じで、人は死んでも彼らは殺人罪には問われない。彼らに殺意はないからである。中国人と韓国人は、科学はできなくても、科学技術を手に入れて、利用して金儲けをしている。彼らは … [続きを読む] |
実況放送・現状報告の類の内容は、日本人でも議論になる。だが、非現実 (過去時制と未来時制) の内容は、日本語の文章にならないから議論にならない。 意思は未来時制の文章である。意思を議論にのせることは難しい。だが、意思のないところには方法がない。座して死を待つか。それとも進んで玉砕するか。危険を避けることは難しい。 話に筋があるならば、それを理解するということもわかる。だが、筋がなくて、話を理解するということはいったいどういうことなのか。 ‘とにかく、‘私の話を聞いてください’というのは、 ‘ばかだなあ、この人は、、、、’ と思って話を聞 … [続きを読む] |
恣意 (私意・わがまま・身勝手) は、小言、片言、独り言で表わされる。 司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。 「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多 … [続きを読む] |
日米安保条約は、大切な条約である。 これにより、日本はアメリカにつなぎとめられている。 この条約により東南アジアの国々も安心していられる。我が国も信頼を得ている。不自由を常とおもえば不足なし。 我々には、恣意 (私意・わがまま・身勝手) と滅私奉公の世界に住み続けるか、それとも意思と自由の世界に住み替えるかの問題がある。 どうして日本は危険なのか。それは、経済的な繁栄からくる根拠のない力の過信からきている。気分・雰囲気が問題である。 細工物の出来栄えが良いからと言って、政治音痴が通用するものでもない。 性能の良い戦闘機と巨大な戦艦があれば … [続きを読む] |
日本語には階称がある。階称とは ‘言葉づかい’ のことである。階称は人間序列を作る。序列制度は我が国の国体である。先の大戦では、国体護持を案じて我が国の降伏が遅れた。 日本語には時制がない。時制は過去・現在・未来と世界を三つに分ける。時制のある言語では同じ内容の三通りの文章ができる。 時制がなければ世界は現在一つである。時制のない言語では一通りの文章しかできない。 時制のあるなしでは、考えの深さが違ってくる。浅はかな考えの人と思慮深い考えの人との分岐点になっている。 非現実の文章は、過去時制と未来時制の文章である。日本人は無哲学・能天 … [続きを読む] |
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