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2015年03月28日(土) 





社会は、相手が存在してのことである。

未来社会の建設は、相手と相談して合意に達しなければならない。

'自分さえ善ければ' の修身教育では、対処できない。



'我々はどこに行くか。' これは、哲学の命題である。その答えは、非現実の内容である。

過去・現在・未来の中の未来の世界について尋ねているのである。これらの三世界は、時制から発生している。

時制が無ければ、このような哲学的な (非現実の)発想もない。



特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には、時制が無い。だから、北東アジアの民は、無哲学・能天気である。

'我々日本人は、どこにも行かない'。 'どこ' というのは、'次の世' をさしている。日本人は、自分たちの世が、苔のむすまで変わらないことを願っている。

お変わりのないのが天下泰平の世の中で、万世の為に民は泰平を開こうとして欲しているのである。



英米人は、彼らの哲学を持っている。その内容から導き出される現実対応策が提案される。未来社会の建設を画策しているのである。日本人は、こうした態度への対応に戸惑っている。'いかなる根拠があって'かが理解できない。

自己の哲学が無いから、対応はその場主義になる。つかみどころがないから、相手からの信用も得られない。腹心の友には成れない。このままで良いのか。良いはずがなかろう。我々には、英米流の高等教育が必要である。







軍隊が無いから、出動しなかった。は、事の次第・成り行きである。これは、意思のない人の平和への願いである。だが、棚から牡丹餅は落ちてこない。

軍隊はあったが、出動させなかったは、意思の力によるものである。

戦わずして勝つことが、最上の策であることは言うまでもない。それには対話が必要である。

力は、正義である。我々は、自己の力を示さなくてはならない。

優柔不断・意志薄弱では、問題に対処できない。つかみどころのない人間は、当てにならない。頼りにならない。

我々は、意思ある人間にならなくてはならない。信頼できる人にならなくてはならない。意思のあるところに方法はある。Where there's a will, there's a way.

さすれば、我々の願いはこの世において叶えられる。














閲覧数1,554 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/03/28 13:00
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