ほたるさん
上喜撰を江戸で販売したのは誰?
江戸に宇治製法のお茶を広めたのは、永谷宗円で、そのお茶を気に入り販売したのは、山本嘉兵衛(山本山・・海苔も販売)です。でも彼は、宗円のお茶を「天下一」と名付けて販売したようです。何度調べても 「上喜撰」と命名した記録は、見つけることができませんでした。上喜撰の販売元は、ほかの茶問屋だったのでしょうか。
江戸末期には、宇治製法のお茶の類似品が たくさんでていたようですから・・。上喜撰のお茶は、この狂歌が有名になったせいか すぐに 「正喜撰」と改名されています。幕府に気を遣ったのかもしれません。上喜撰の販売ルートは、今後も調べてみます。
ほたるさん このあたりの事情をご存知ですか?
ご存知でしたら 教えてください。