大和魂の特性は、感性に優れ、知性に劣ることである。 「和」争いをやめ仲良くする心を持っているが、相手に対する説得力に欠けている。 「誠」誠意を尽くし嘘偽りをしない心を持っているが、非現実(あるべき姿)の内容を嘘と考えて重視しない。 「潔」桜の散り際のような潔さを尊ぶ心を持っているが、信念がないので、努力目標の達成に対する粘り・周到さがない。 「清」穢れを嫌い清浄を求める心を持っているが、気分転換で終わりとする。空気・雰囲気に身をまかせる。知性がマヒする。 「情」他を思いやり自分の事のように心を重ねるが、供養のうえに供養と供養を重ねるばかりである。贖罪と反省と新出発の生活にはつながらない。その日暮らし。 「尽」自分を犠牲にしても相手に尽くそうという心を持っているが、合理的な手段を用意していないので、玉砕精神となる。座して死を待つ。外国人があきれる。 「根」根気と不退転の決意を持っていて、なにがなんでもという恣意へのこだわりを見せる。耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで、南の島に雪が降る。 「誉」礼儀を重んじ恥を知ること。序列メンタリテイにとらわれて、序列順位にこだわる。序列作法を励行し、事足れりとする。無哲学・能天気である。http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/ http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/ わたくしが八歳の時に、我が国は戦争に敗れた。'日本はアメリカの物質主義に敗れた。だが、精神主義では勝っていた' と教えられた。戦前の日本は、精神主義に頼っていた。精神主義は、恣意の力により困難を打開しようとする方策である。出来心の親戚か。そして、アメリカの物質主義に敗れた。物質主義は、合理主義である。意思の力で、目的に必要な物質を整える。意思は文章になる。だから、矛盾を排除できる。恣意は文章にならず、矛盾を排除できない。談合と腹芸では合理主義に太刀打ちできない。大和魂という掛け声だけでは、どうにもならない。矛盾だらけで自滅する。