特亜三国 (日本・中国・韓国)の言語には、時制がない。だから、特亜三国の人は、無哲学・能天気である。'われわれは、どこに行くか' という哲学的命題には縁がない。われわれは、どこにも行かない。世界観がない。年中行事を繰り返して事足れりとしている。小人の世界か。特亜三国の会議は、小異と怨恨に話が集中し、大同と夢・希望を語ることを忘れている。建設的なことはなにもない。小異は現実、大同は非現実。無哲学では大同はなく、小異を捨てて大同につく理由は見当たらない。それで、小異に執拗にこだわる。現実ばかりでは、夢と希望がない。特亜三国は、失望と落胆の文化圏を形成している。'北東アジア諸国連合' はできるであろうか。北東アジア軍の創設はどうか。法を説く者には、守護神が必要である。http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/ http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/ 特亜三国 (日本・中国・韓国)は、箸と漢字の文化圏である。無哲学・能天気で、インド人とは違って、地獄もなければ、極楽もない。学問といえば、古今東西の書物を読み漁ること。受験に備える学生風か。これだけでは、文字のない世界は開けてこない。自然史博物館の設立など思いもよらない。過去の世界を限りなく展開して行くには、過去時制の文章が必要である。同様の事が、未来についてもいえる。夢と希望を語るためには、未来時制の文章が必要である。人間に知的な差の現れるのは、こうした非現実の内容を理路整然とした形式で明らかにするときである。だから、面接試験は人物評価に有用である。日本語には、未来時制も過去時制もなく、特亜三国の言語にも、時制というものがない。子、怪・力・乱・神を語らず。(孔子は、奇怪なこと、勇力のこと、乱倫なこと、神秘なことを口にのせて主張することがなかった。) 特亜三国人は聖人といえども、非現実の内容を主張することがなかった。