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2015年10月13日(火) 







・> 為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)



意思のない人間の歌である。

為せば成るとは限らない。矛盾があれば為しても成らない。

考えから矛盾を除去するには、文章が必要である。

日本語には未来時制がない。だから、未来 (非現実) の内容は文章として表現できない。

‘筋が通る通らない’ を問題にせず為すことになるから、行き当たりばったりの行為となる。

だから、耐え難きをたえ、忍び難きをしのんでも、為して成らぬことが多い。





・> やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず  山本五十六 (やまもと いそろく)



治者崇拝を利用した、’意思のない人間’ に対する上からの教化である。相手は自立した人間ではない。12歳の大人か。

上からの与えられた民主主義、上からの与えられた自由、上からの与えられた平和などなど、多数の実例がある。

意思がないので、自発性もない。恣意 (私意・我儘・身勝手) の自発であっては、なお困る。

恣意には筋がない。文章がない。片言・小言・独り言になる。話が通じない。個人主義がなくて、利己主義がある。伝統的な滅私奉公で対処することになる。

おとなしくしているのが良い。待ちの政治か、静観か。常に受け身の立場。意思のないところに方法はない。



高等教育は、自己の意思を表現させるものでなくてはならない。意思の表現は生きる力になる。







・> 私 [武田邦彦先生] は日本の文部省(現在の文科省)はないほうが良いと思っている。その理由は、文部省がないアメリカや実質的に「指導」をしないヨーロッパの国の教育がなかなか高いレベルにあるからでもある。

・>特に自主的で創造的な心を持つ子供を育てるためには、文科省を止めるか、最低でも文科省が「学習指導要綱」や「学習方法」などについて「指示する」というやり方を止めることが大切だろう。(引用終り)









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閲覧数683 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/10/13 05:11
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