1,274万kW/1,750万kW (10/18 22:15)
72%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1187908
2015年10月06日(火) 







・> 幼稚園や小学校から英語を学ばせる。高校の英語の授業では英語しか使わない。大学の授業の半分を英語でやる。企業の公用語を英語にする。こういった極端な英語化の動きに、かねて深い違和感を持ってきた。(引用終り)



我々日本人は英語を通して文明開化をやってきたのだから、英語と親しくなることにより、我々個人が直接、原書・本物に接する機会もさらに増えてくるはずです。

我が国の英語化の ‘極端な’ という印象は、全国一律にというやり方に対する反発でしょうね。我が国伝統の ‘世の中は、常に、、、、’ という発想法に従おうとする仕来りに対する個人の本能的な反発でしょうね。我が国は、全国一律ではなく、個人の自由を広げるべきです。そうすれば、閉塞感も和らいでくるはずです。



私の住む掛川市には、米国のオレゴン州にあるユジーン市と姉妹都市の協定を結んでいます。ユジーン市には ‘友人学園’ という小学校があって、全学年を通して日本語のみを学ばせています。夏休みには、親と子が連れ立って日本にやってきて、掛川市などにホーム・ステイしています。子供は親と離れて一人で日本家族の家にホーム・ステイしますが、何ら言語的不自由も生じません。日本語の話せない親たちは、別の日本人の家にステイします。何の違和感もありません。それどころか、米国の子供に対する日本人からの賞賛の声が多いです。親御さんの理解が日本語に熟達した子供を育てているのです。米国には、そうした学校選びの自由があります。



我が国民は、今なお同次元序列の競争にのめりこんでいる。日本語に徹することもできなければ、英語に徹することもできない。紋切り型の教育を拒否すれば非国民ということになる。教育においても’イザ、尋常に勝負せよ’ というところか。国策に対する反逆罪か。戦前の魂は生きている。このような我が国の切って揃えられたようなメンタリティでは、没個性の人間しか育たないでしょう。



・> 私 [武田邦彦先生] は日本の文部省(現在の文科省)はないほうが良いと思っている。その理由は、文部省がないアメリカや実質的に「指導」をしないヨーロッパの国の教育がなかなか高いレベルにあるからでもある。

・>特に自主的で創造的な心を持つ子供を育てるためには、文科省を止めるか、最低でも文科省が「学習指導要綱」や「学習方法」などについて「指示する」というやり方を止めることが大切だろう。(引用終り)



.








閲覧数1,039 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/10/06 03:33
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■この日はどんな日
ほかの[ 10月06日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み