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2015年12月24日(木) 

 

我が国の問題として人口減少がある。難民を受け入れて、話の通じない人たちが我が国の社会に増えるのは困る。

わが国には、多数の技術研修生が海外より派遣されてきている。彼らは話すことはできても、漢字交じりの和文に難渋している。

日本語をローマ字表記にしたら非漢字圏の人たちにもより簡単に日本語を親しんでもらうことができる。話ができる。日本人の考えを理解してもらえば、日本人の意見を支持してもらう機会も増え、日本人は指導力を発揮する機会が増える。さすれば、我が国も世界に対してさらに大きく貢献をなすことができる。

日本語のローマ字化は、我が国の人口問題と言語の問題の双方を良い方向へと導いてくれる。

意思の無いところに方法は無い。意思決定に難渋する国民性にも問題がある。優柔不断・意志薄弱では改革は遅々として進まない。思い切った改革断行には、考え方の質の違いに注目しなくてはならない。

 

日本語脳では ‘来るべき世界’ が想定できない。だから、その生活には、その日暮らしの観がある。’移行すべき未来社会’ の内容が一向に見えてこない。一寸先は闇か。

未来のことを現在時制で語れば、それは英文法上では正しい考え方には成らない。だから、英米人には、正しい考え方を植え付けるための高等教育が必要である。かくして、彼らは哲学博士 (Ph. D.) の生産国になった。学問を求める世界中の若者は、英米の高等教育機関に向かっている。

日本人は、現在のことしか語らない。現実と非現実を混ぜ合わせたら、その内容はダジャレになるからである。現実の外に出て真面目になる機会がない。かくして、我が国は、漫画・アニメ大国になった。お笑いを求める世界中の庶民は、日本の製品を買い求める。

 

現実と非現実を区別することなく語れば、それは矛盾である。時制も無く、非現実を表す文章を作ることができなければ、非現実の考え自体を停止せざるを得ない。そうでなければ、正しい考えは作れない。

‘だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか‘と言い訳する。矛盾のあるなしを問題にしない。だから、正しい考え方というもの自体が存在しない。矛盾を指摘して考えの間違えを指摘することもできない。かくして、我が国は歌詠みの世の中になっている。

日本語の考えには、現実と非現実の区別が無い。というよりも、現実だけがある。

非現実の内容は、雑念として、常に脳裏から払拭されている。非現実は、この世の嘘にしかならない。現実離れがしていては信じられない。精神統一が必要である。だから、日本人の考えには深みが無い。洞察力が無いので、創造の世界に対する開発が進まない。

 

恐竜時代には、人間は誰一人住んでいなかった。それにもかかわらず、英米人は見てきたような嘘 (非現実) を書く。その能力は、どうしたら得られるのか。それが我々の問題である。

 

徒競走のやり方は、’追いつけ追い越せ’ である。これは、同次元の努力を積み重ねて行う序列の競争である。

実社会の競争には、これとは違う異次元の競争がある。先進国に ‘追いつけ追い越せ’ という文明開化の競争は、それである。

追いつく過程と、追い越す過程では、努力の質が違う。追いつく努力は先進国を模倣すること。

追い越す努力は発展途上国自身の創造による。質の違いが進歩の壁になっている。

現実の内容を再現して見せれば、それは模倣である。非現実の内容を実現すれば、それは創造である。

特亜三国 (日本・中国・韓国) の言語には、時制が無い。非現実の内容を文章にすることができない。だから、その励みも勢い現実の内容に集中する。つまり、模倣の次元だけに限られる。模倣の競争は創造に比べたら格段に易しいので参入者も多い。偽物も多く出回り、それだけに競争は厳しくなる。模倣の努力と自己満足で自己を正当化するだけの世の中はむなしい。新しい個性豊かな創造のゆとりある競争社会を求めよう。

 

戦争は異次元の競争である。それを同次元の競争と捉える民族の末路は厳しい。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族敗退の過程は見て取れる。以下にその内容を引用して終りとする。


私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

 

 

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閲覧数1,030 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/12/24 09:34
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