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2017年08月26日(土) 
大和朝廷以前の日本の歴史は、実にあいまい。古事記のかなりの部分が出雲に関わる神話で占められています。それは、なぜなのか?

過去の歴史学習では、大和朝廷が 自らの都合のいい歴史を作るために 「神話」を作ったと教えられ、“何だ!作り話か”と 私の中で 完全に抹殺。興味も持たなかったのですが、今回の旅で、どうも そうではないらしい。(もちろん 作り話の部分もたくさん ありますが・・)

こと出雲王国に関しては、”神話にされて“ 抹殺されていたということに初めて気づかされました。8世紀の大和朝廷は、出雲を神話にしてしまわなければ 政権の正統性を証明出来なかったのです。

出雲は、その出土品から 僻地でなく 先進国であり 大陸や半島との文化の玄関口であったことがわかっています。
弥生時代の出雲王国は、稲作農耕に関する祭祀に用いられた青銅器(銅剣・銅矛・銅鐸など)の文化が華やかでした。(荒神谷・加茂岩倉遺跡など)

でも 4世紀中頃 倭建命(架空の人物=大和朝廷)とよって 滅ぼされます。これは、実は渡来人同士の争いでもあったのです。(ここらの史実は、とても ややこしくて整理できていません。勉強するつもりです。)

ずいぶん昔、夏の研修会ツアーのバスの中で 奈良時代のある群の住人の8割(?)くらいが、渡来人であったとの話を講師から聞いて びっくりしたことがありますが、 今になって その話が ストンと 胸に落ちました。
古代史は、面白いです。今回の旅で 私は、やっと そのスタート地点に立ちました。

閲覧数1,167 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/08/26 14:56
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コメント(2)
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  • 2017/08/26 21:19
    イアンさん
    またまた先生に勉強を仕向けられた感じ・・・
    何処へ行っても何を見ても、すぐフォローして知識にして置く姿勢、
    全く感服です。
    次項有
  • 2017/08/26 22:09
    おはずかしいです! 古代史は、よくわからないまま、夫に連れられて史跡巡りをし、わからないまま 記事に書いてしまいました。

    でも新しい発見が たくさんありました。どうも 出雲王国や大和朝廷は、渡来人が作ったものであるということです。そして あの神話は、事実を下敷きにしてつくられているということです。

    僻地になんで あのような立派な出雲大社が建てられたのか・・疑問に思っていましたが、その一部の理由がわかったような気がして うれしかったです。

    まだまだ わからないことだらけです。これからも 勉強していくつもりです。
    次項有
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