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2019年06月08日(土) 
快慶の生き方

運慶と快慶は、同門 慶派出身。ふたりがつくった南大門の仁王像は、同じ作風です。ところが その後 ふたりは 袂を分かつように 別の作風に変わっていきます。力強い運慶と穏やかな快慶。その違いは、何故生まれたのかとずっと疑問に思っていました。

その疑問が この番組を観て 氷解しました。当時の歴史背景が ふたりの生き方を分けたのでした。ふたりが生きた時代は、貴族の世から 武士の世に変わる戦乱の時期。南都焼き討ちでは、たくさんの僧侶や民の命が奪われ、また、伝染病もはやり(死者4万人) 人々の心は、荒廃していました。

運慶は、源頼朝の安定した政権を後ろ盾として 仏像制作に集中し、芸術性を極め、すばらしい作品を多数残します。彼のエネルギッシュな作風は 武士との交流の中から生まれたような気がします。彼の作品は、ほとんど鎌倉周辺の寺から見つかっています。

一方 快慶は、異なる道を歩みます。彼は小さな寺でも 収まるように小振りな阿弥陀像をたくさんつくり、より多くの人を救おうとしたのです。都を離れた小さな寺から、たくさんの三尺阿弥陀が見つかっています。それらの阿弥陀如来像には、古文書が内蔵されており、救われたいと願う人々の5万人の名前が記されていました。その名前のなかには、遊女や差別された人々の名前も記されていました。

快慶の阿弥陀如来像の表面には、極楽浄土の光を截金模様で表現。救いの光で人々を癒そうとしています。快慶は庶民に心を寄せる生き方を選択したのです。このエピソードには胸キュンでした。

運慶は、後に息子の湛慶を快慶に託します。湛慶が完成させた三十三間堂内の仏像群には、運慶 快慶の技と心が受け継がれています。(力みなぎる風神雷神→ 運慶譲り)(中央の優美な千手観音→快慶譲り)

番組を観ながら ふたりをめぐる人間ドラマには、奥深いものがあるのだろうなと想像しました。息子を快慶に託すところなど なんて ドラマチックなんでしょう!このふたりを主人公にしたら、凄い大河ドラマができるでしょう。いつか観てみたいものです。

②阿弥陀如来立像 ③如来像のx線透視で古文書が映る。

閲覧数32 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2019/06/08 17:42
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コメント(2)
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  • 2019/06/08 20:58
    イアンさん
    スカーレットさん、有難うございます。
    今まで自分が全く知らなかった、興味を持たなかった面に、目を開かれた思いです。
    次項有
  • 2019/06/08 21:35
    私も 番組をみるまでは 快慶がこのような生き方をしたとは、全くしりませんでした。二人の生き方は、あまりにも対照的。 ”仏像制作の意味”を 深く考えさせられました。作品評価では、芸術性においては運慶の方が高く評価されているように思います。(特に後期作品)でも 私は、この番組を観て、快慶を大いに見なおしました。
    次項有
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