「鏡獅子」の作品は、国立劇場に移されるとき、一度TVで観たことがあった。その鮮やかな色彩が 心に残っていた。でも 制作者の「平櫛田中」(ひらぐしでんちゅう)の名前も それが「木彫」であることも 全く知らなかった。 今回 日美(NHK)で彼の足跡を知り、深く感動した。今度、東京へ行ったら 彼の美術館を訪れたい。今から わくわくしている。 「鏡獅子制作秘話・上野番組要約」 6代目尾上菊五郎がモデル。この大作が完成するまでには、22年。きっかけは昭和11年田中が「鏡獅子」を観たこと。菊五郎は、バレエなど西洋的な動きを研究し、歌舞伎の伝統に新たな風を吹き込もうとしていた。 菊五郎のそうした姿勢に 一目惚れした田中は、作品のモデルになってほしいと頼み込む。菊五郎は、田中の思いを受け入れ 何度もアトリエに通った。筋肉の動きをみたいとの田中の要望で裸にもなった。 1939年 試作の1年後、色をつけた。しかし、彫刻というよりは 泥人形だと酷評される。 戦争が始まり、木を彫ることもできずに制作は途絶えてしまう。再開されたのは、 終戦から8年もたってから。ともに完成をめざした菊五郎は、すでにこの世を去っていた。 再び巨大な木と向き合って3年後、鏡獅子は、田中87歳のときに発表された。 菊五郎と繰り返し、裸で向き合い形作った緊張感あふれる姿。西洋にも学んだ独自の視点がとらえた肉体は、菊五郎の生き写しとさえ言われた。 批判を浴びながらも貫いた鮮やかな色彩。鏡獅子には、木彫の可能性を信じ 自らを磨き続けた田中の人生が凝縮されている。 NHK日曜美術館11/3「わしがやらねば だれがやる~彫刻家・平櫛田中」より) |