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2015年05月12日(火) 







イザヤ・ベンダサン (I) さんは、1971年に <日本人とユダヤ人>を著した。

この著者に主張は、本の題名の通り、民族が違えば、考え方も異なるという内容になっている。視点が斬新で有ったので、彼の著作は一世を風靡した。'民族が違えば、、、' の前提は、おそらく日本人とユダヤ人の間に限ったことでは無いであろう。



浅見定雄 (A) さんは、I さんに対抗して 1983年に <にせユダヤ人と日本人> を著した。

この著者の主張は、I さんが 'にせユダヤ人' であるというところにある。ユダヤ学・聖書学・古典語学さらに英語についての知識は、いかに間違いだらけで、非常識なものかを述べている。I さんの見解に熱狂した読者に、冷や水を浴びせようして発表された著書であろう。だが、民族の違いは、ユダヤ人であろうが、にせユダヤ人であろうが、日本人との間では成り立つ。引用例が正しくなければ、そこを訂正すればそれで済むことである。だから、I さんの見解は新鮮であることには変わりなく、ことさらに、彼の間違いを騒ぎ立てるほどの事もない。



太陽の光がまぶしいほどに輝けば、月も光る。太陽の光が無ければ、月は月食状態に見える。I さんとAさんの作品の内容は、そのような関係にある。

'非現実' 対 '非現実' ならば、高尚な話になる。だがしかし、これはもう '非現実' 対 '現実' といった次元の相違であるから、話はかみ合わない。相手をよく見てから、話をしなくてはならない。つかみどころの無い人間を相手にしていると不毛の議論になる。



日本人は、意見に乏しい。消去法を使って自説を表現したつもりになる。これは、駄々っ子が激しく首を横に振るようなものである。意味は無い。

不毛の議論を避けるためには、新参者も新見解を提案する必要がある。自説の有利な理由を述べるついでに、他者の提案を消去法で追い落としたらよい。そうすれば、自説に対する聴衆の感心度はさらに増大する。



イソップ寓話では、動物が言葉をしゃべる。ウサギは、'もしもし亀よ、亀さんよ' と呼びかけた。本当に、動物が人間の言葉をしゃべったのか。そんなことは無い。それは、ただの話である。話は考え方の役に立つ。話の筋に道理が立つのである。事実は風化する。だが、道理は残る。だから、話は伝承されるのである。











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閲覧数1,025 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/05/12 17:17
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