素晴らしい力作ブログですね。
スカーレットさんには本当に教わることが多いです。
引き続きどんどん よろしく。
京都学生祭典(平安神宮前)のあと、みんなで粟田祭に行きました。この粟田祭は、千年の歴史を持ち、室町時代には、祇園祭が斎行できなかった時には、そのかわりとされたと云われています。この日は、粟田大燈呂があるので期待が膨らみます。 三条通りを粟田神社に向かって歩いていると すでに大燈呂が待機していました。そばにいた造形芸術大の学生と地元の方にいろいろと話をきくことが できました。学生さんは、実際にこの制作に関わっているとのことで 5か月間、毎日のように 授業終了後に制作してきたとのこと。こうした祭りを続けていくには 大変な苦労があるのだなと改めて思います。この大燈呂が、青森のねぶた祭りの元祖だと知ってちょっと誇らしく思いました。やっぱり京都は、すごい!! 粟田神社での神事のあと、灯が燈った大燈呂と共に、知恩院の瓜生石を目指しました。 神仏習合のれいけん祭が始まりました。牛頭天王の燈呂が知恩院の階段を背にした中央に鎮座し、祭りの主役であることがわかります。 神官が祝詞を読みあげ、続いて知恩院のお坊さんの読経が山々にこだまします。その後 瓜生石の周りを神職・僧侶・粟田の氏子たちみんなが祈りを捧げながら3周してれいけん祭がおわりました。氏子が神輿の掛け声を掛け合いながら、地面の上で鈴をならしながらステップを踏むさまは、祇園祭の神輿と全く同じ形でした。このステップは、〝地鎮“の意味があるのだなと今回気づきました。 八坂さんと同じ神さま(牛頭天王)の粟田祭りは、いろんな面で祇園祭とよく似ています。祇園祭の始まりと言われる神泉苑で立てた66本の鉾の形は、今回見た粟田祭氏子が持っていた鉾と同じようなものだったのではないかと想像しています。 祇園祭でも行者との神仏習合イベント(役行者山)がありましたが、粟田祭でも知恩院と神仏習合の形をとって、地域に住むみんなで、五穀豊穣・無病息災を祈る姿は、私には心地よく受け入れられるものでした。 この大燈呂は、京都造形芸術大学の協力で2008年に180年ぶりに復活したものです。 ※この写真は、今年のものではありません。2年ごとに作り替えているそうです。(造形大の学生の話) |