スカーレットさん
相変わらずよく勉強して居られますね。
お陰様で、オコボレを頂いていますよ。
桓武天皇は さらに 大きな規模で 鬼門封じをしました。 それは、征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の東北遠征でした。 征夷大将軍の「征夷」は東北地方の先住民である蝦夷(えみし)を征服するという意味です。 これ以降、明治直前までの将軍職の役割は、鬼門封じが主になります。田村麻呂は初代の征夷大将軍です。 田村麻呂は、東北遠征で30ヶ所以上の寺院や神社を建立し、鬼門封じをしました。 本州の東北の端にある津軽地方は、京の都にとって鬼門中の鬼門だったので、この地には特別に7つの神社を造り、北斗七星の形に配列しました。それらの全ての神社に宝剣を埋めたそうです。 北極星は、帝王(京都)を意味します。この北極星を守るのが 周囲をめぐる北斗七星なのです。 東北遠征から戻ると、田村麻呂は都に戦場で亡くなった死者の鎮魂のためにお寺を建てます。 それが 清水寺です。1994年、「平安遷都1200年」が京都で開催されたとき、蝦夷の首長と副首長だったアテルイとモレを追悼する石碑が清水寺の境内の片隅に建てられました。 彼らは罪のない蝦夷を必死に守り前線で戦いながらも田村麻呂から和解を持ちかけられ捕らわれ、最後は朝廷の命令で処刑されてしまいました。 京の都の繁栄は、当時都から見て鬼門の方角に住んでいるというだけの理由で多く人達が犠牲になったということを抜きには語れません。 田村麻呂は、死後山科・来栖野に葬られました。死んだ後も 甲冑を着て太刀や弓矢をもって 平安京に向かって 今も土の中で仁王立ちしていると言われています。(ネット記事参照 編集・UENO) |