英会話で桓武天皇の“鬼門怯え“ の話をしたら、すかさず メンバーから喜撰法師の百人一首の歌が出てきて 感心させられました。 確かに 宇治は、平安京からみれば、「辰巳」の方角にあります。 奈良や大坂と繋がり、貴族の別業の地ともなった宇治なのに、当時、隠れ里の“憂し山”だと 皮肉る人もいたのですね! 風水など信じないタイプの私ですが、この時ばかりは、喜撰法師の歌が 小気味よく感じられました。 坊主めくりで、喜撰法師の札がでると ぎょっとしていた私ですが、この日を境に全く見方が変わりました。 しかし、昔の人は、歌にさりげなく詠みこむほど 方角を気にしていたようですね! ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり 喜撰法師 百人一首 『古今集』より ■□■ 現代語訳 ■□■ 私が住んでいるお坊さんの住む庵は、都である平安京のはるか離れた東南にあるものだから、おかげさまで心静かに住んでいるのですよ。なのに、皆さんは、私が人々とのお付き合いがわずらわしいと思って、そんなところに住んでいると言っているようですね。 ■□■ ことば ■□■ 【しかぞすむ】 「しか(然)」は、「このように(心静かに)」の意味です。一説には、山奥なので「鹿」に掛けたとも言われます。 ※ しかし、水に浸かった喜撰洞に佇む 喜撰法師のお姿を初めてみて ちょっと 悲しくなりました。なんで この様なところに・・。 |