書き込み数は8件です。 | ◀▶ |
台湾の友人 Mさんから FBを通して 協力を依頼されたのが3/28です。 「小学生が海で見つけたカメラの持ち主を担任教諭がFBで探している。協力を!」という内容でした。 すると 次の日の夕方のTV番組で そのことが 取り上げられ、持ち主が見つかったとの報道。Mさんにも すぐに 報告。良かったなあと思っていたら、昨日の夕刊(4/28)でそのカメラが 本人に渡されたとの記事を 見つけました。 本当にうれしいニュースです! 台湾の方々のご親切に 感謝すると共に、SNSの影響力の大きさを 強く感じました。世界は、ますます近く なりましたね! |
ここ数年 私は、すっかり “花追いびと“。でも 藤の花だけは、全く その経験がなかったので、藤の花に出合えると思うと 胸が高鳴る! 八条口から シャトルバス(百円)に乗ってセンターへ。 人の流れに従って歩いていると なんとも言えないいい香り。ああ これが 藤の花の香りなのか! でも 最初に目にした藤棚の藤は、もうピークを過ぎたのか 元気がない。やっぱりなあ。 いやな予想が当たってしまった。(今年の天気がうらめしい・・。) でも 第2コースの藤棚は、辛うじて 私を待っていてくれた。紫の藤は、「ノダフジ」(ナガフジ)という種類で … [続きを読む] |
今日 楽しみにしていた”布の彫刻家“与勇輝展に行って来ました。凄い行列でした。観客のほとんどは、シニア世代。少しずつしか 前に進まないので 彼らのコメントが すべて耳に飛び込んできます。 「あの子 綿入れ着てるわ!昔よく着たなあ」「肩につぎあてしてるな。膝にも。小さい破れまで作ってあるわ」「よくも こんなに小さな柄の着物を持っていたな・・。」「 うわっ!糸と針まで。細かい仕事したはるわ! でもちょっと あの糸切りばさみ。大きすぎひんか。」「ひとりずつ みんな 表情が違うね。」「あの子 やんちゃそうな子や!」 行列の進みが遅い分 … [続きを読む] |
「父が美術雑誌や美術百科事典の営業マンだった関係で、幼少期から雑誌などを通じてアートに親しみ、画家になりたいと思っていました。10歳のとき、岡山に単身赴任中だった父が「お前に見せたい場所がある」と連れて行ってくれたのが大原美術館(岡山県倉敷市)。エル・グレコ「受胎告知」など珠玉の名画が並ぶ中、とてつもなく下手くそな絵を見つけた。「何これ?」と近づいたら、ピカソの「鳥籠(とりかご)」で、衝撃を受けました。こんな下手でも美術館に飾られるのならと、ピカソをライバル視するようになりました。いいかげんにしろと言いたいですが(笑)、子供に … [続きを読む] |
4月8日、和菓子体験前、国際交流会館前庭では、世界交流イベントがあり、いろいろなパフォーマンスが行われていました。そこで 私たちは、軽食をとりました。 食事が終わり、コーヒーが飲みたくなって 一番端の屋台で売られていたコーヒーを買いにいきました。私の前に並んでいたのは、ふたりだけなのに なかなか自分の番が回ってこないので 不思議に思って コーヒー店員のすることを じっと見ていると 時間のかかっている理由がよくわかりました。 彼は、その場で豆を挽き、ひとりひとりの客にドリップ式で淹れていました。 イベント会場で これほど丁寧にコー … [続きを読む] |
まず、各自の席の前に置かれた餅を三等分。二つの餅にニッキ・抹茶粉いれる。 そして何も入れないのをひとつ。 時間をかけてモミモミ。柔らかくなったら きなこをまぶして 麺棒で伸ばす。正方形に成型して 餡三種(栗・小豆・抹茶)を入れて出来上がり。 ただひたすら単純作業。でも なぜか楽しい。餅の感触が 気持ちいいから? 耳たぶみたい! 正方形作りにも 個性が出る。となりのRさんに「上手ね!」と話しかけると 「これは やったことがある。ピザを作る母の手伝いで・・」そうか・・。孝行息子なんだ! スタッフのKさん Mさん 力が入って … [続きを読む] |
今朝は、スタッフがいつもより早くに集まって 本を運んだり、教室の整備をしたりして 慌ただしく過ごしました。この写真は、朝のスタッフミーティングの時に撮りました。 きれいなお部屋で うれしいね! ウ~ン このイス 重いよ! さすが “国立“ とか いろんな声が聞こえてきました。 公民館閉館に際しましては、いろいろありましたけど 新しい場所で ピッカピカの気持ちで 再び頑張れることを 幸せに思います♡ ところで 今日は、学習者さんの迷子がたくさん出ました。 教室番号を知らせたはずなのに もうひとつの教室で座っていたり、スタッフを探 … [続きを読む] |
先週の土曜日に 吉永小百合主演の「北の桜守」を観に行きました。この映画は、1945年に樺太で起こった悲劇が下地となっています。その年、終戦の1週間前(8/8)にソビエトが不可侵条約を破って突如宣戦布告。樺太に攻め入ります。樺太庁は、老人・婦女子・乳幼児学童中心の住民を引き揚げ船に乗せて 避難させようとしますが、ソ連軍の潜水艦からの魚雷攻撃を受け、3隻のうち2隻が被弾沈没、1700名以上の死者を出します。対馬丸事件(沖縄)が起こったのは、1944年。同じような悲劇が、連続して起こっていたのです。 物語は、この悲惨な体験から PTSD(心 … [続きを読む] |
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