・> さて、このたびのオリンピック騒ぎである。・> 表無しとはよく言ったものだ。・> このくには、裏ばかり発達して、もうすでに、数億も無駄、損失が出ている。意思を示せば当事者になる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思が無い。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手)がある。意思は未来時制のセンテンスであり意味というものがあるが、恣意はバラバラな単語であって意味がない。それを口に出すのも恥ずかしい。だから裏で言う。表に出すものは何もない。・> 何も決まらぬうちに、さっさと旧国立競技場をとりこわし、さてそれから、生ガキだかヘルメットだか知らないが、つくるのなんの、誰も責任を持つ担当者がいない。・> 頼りないエライさんだけが右往左往している。意思のない日本人には責任もない。死刑執行人は、人は死んでも、殺人罪には問われない。彼らには殺意がなかったからである。意思のない国で、責任者を見つけ出すのはむずかしい。この国が、ひっくり返った時にも責任者はでなかった。とかく、この世は無責任。・> 天皇制下に培われた、官僚制度の無責任体制がよく見える。天皇制は、上とみるか、下とみるか判断を制度化したものである。日本語には階称 (言葉遣い) がある。序列観念は日本人にとっての強迫観念である。序列を聞けば、体がしびれる。昔は序列順位、今は数合わせで決まる。リーズン (理性・理由・適当) には関係なく、日本人からリーズナブルな答えは期待できない。・> あの東条英機さえも、「オラかんけーねー」と言い放ったのだ。何とかは死ぬまで治らないってか。言語は、考えるための道具である。その欠点を明らかにして補わないと、死ぬまで○○は治らない。安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから。.