1,857万kW/2,009万kW (10/07 10:35)
92%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1185037
2015年09月11日(金) 









・> さて、このたびのオリンピック騒ぎである。

・> 表無しとはよく言ったものだ。

・> このくには、裏ばかり発達して、もうすでに、数億も無駄、損失が出ている。



意思を示せば当事者になる。示さなければ傍観者にとどまる。

日本人には意思が無い。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手)がある。

意思は未来時制のセンテンスであり意味というものがあるが、恣意はバラバラな単語であって意味がない。

それを口に出すのも恥ずかしい。だから裏で言う。表に出すものは何もない。



・> 何も決まらぬうちに、さっさと旧国立競技場をとりこわし、さてそれから、生ガキだかヘルメットだか知らないが、つくるのなんの、誰も責任を持つ担当者がいない。

・> 頼りないエライさんだけが右往左往している。



意思のない日本人には責任もない。

死刑執行人は、人は死んでも、殺人罪には問われない。彼らには殺意がなかったからである。

意思のない国で、責任者を見つけ出すのはむずかしい。この国が、ひっくり返った時にも責任者はでなかった。とかく、この世は無責任。



・> 天皇制下に培われた、官僚制度の無責任体制がよく見える。



天皇制は、上とみるか、下とみるか判断を制度化したものである。

日本語には階称 (言葉遣い) がある。序列観念は日本人にとっての強迫観念である。序列を聞けば、体がしびれる。

昔は序列順位、今は数合わせで決まる。リーズン (理性・理由・適当) には関係なく、日本人からリーズナブルな答えは期待できない。



・> あの東条英機さえも、「オラかんけーねー」と言い放ったのだ。何とかは死ぬまで治らないってか。



言語は、考えるための道具である。その欠点を明らかにして補わないと、死ぬまで○○は治らない。

安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから。





.












閲覧数935 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/09/11 03:14
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■この日はどんな日
ほかの[ 09月11日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み