若いマスコミ関係者は、
戦犯がA級戦犯が、最悪の犯罪者
BCは、程々の戦犯って誤解してます。
A級戦犯の一部が、処刑されたんだけど、
ごくごく少数の戦争指導者だと勘違いしてる
この勘違いが、大きな溝になってると思います。
古屋圭司国家公安委員長、新藤義孝総務相、稲田朋美行政改革担当相が終戦記念日の15日、靖国神社を参拝した。安倍晋三首相は参拝を見送ったが、自民党の萩生田光一衆院議員が代理として玉串料を奉納した。 また別個に超党派の議連「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーが集団参拝。 早速中国と韓国が批判している。従来のパターンから云えば当然の成り行きである。皆、批判れることを承知の上で参拝した筈だ。日本の政治家は靖国について譲歩する意志はないらしい。 国を護るために命を投げ出した人たちに敬意を表することは当然のことであり、世界各国でも参拝されている。問題は中韓がこれを日本の軍国主義の復調、もしくはその願望と映るらしい事だ。首相は各国に理解を得るよう努力する…というが、努力している気配は見えない。説明の機会を作ろうともしないし、新聞広告一つ出していない。 国政を任されている者にとっては参拝は当然のことだが、他国の嫌悪に気遣って参拝しない…と云えばいいのに、云わない。参拝の心境を記者団に丁寧に説明すればいいのに、それもやらない。前提条件なしの首脳会談を申し入れているようだが、日本は参拝を止めても何の実害のない靖国で譲歩してまで会談する積もりはないらしい。自ら窮地に追い込んでいるようだ。アメリカも日本の強引さに眉を顰めている。 二度と戦争を起こしたり戦死者を出したりしないことを誓いに行く…との首相の発言に嘘はないだろう…と私は思うが、別に靖国神社に行かなくても、家で誓ってもその効用に違いがある…とは私には思えない。靖国神社に行っても、実際に戦没者の聴覚を持たない魂が聞けるわけもないばかりか、魂が存在しているとも私には思えないからである。 わざわざ出かけるのはマスコミに騒いで貰って、中韓の目を惹きつけたいのだ…としか思えない。喧嘩を売っているわけである。中韓は黙っているわけには行かないだろう。 1945年靖国神社の処置についてGHQが二人の神父に意見を求めた。 それに対してローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあった(?)ブルーノ・ビッテル は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」、「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」との意見。 メリノール宣教会のパトリック・バーン神父も同様の意見を出したそうである。 また、1980年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世がパウロ6世の遺志を引き継ぎ、A級戦犯・BC級戦犯として処刑された人々へのミサがサン・ピエトロ大聖堂で行われ、1618柱の位牌が奉納された。 処刑された戦犯の人たちも、罪を自分の命で償った。国の為に罪を犯し、処刑された人たちだ。自分の私利私欲のための行動ではなかった筈だ。当然にもう罪はない。 これらの歴史的事実を近隣諸国に丁寧に説明するべきだ。 . |