MIYUさん
私の場合、賀状を交換している相手自身の弔報はこの10何年程で1通だけです。
MIYUさんは私より一回り以上お若いですから、お知り合いの親がそのような年齢に達した…いうことだと思いますよ。さみしさは同じか知れませんが。
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知人の顔を思い浮かべながら、私の弔報を受け取った時の反応を想像してみるのも面白いですね。飛び上がって喜んだり、号泣する人はいそうにはないが、人それぞれでしょうね。 年賀状を書くとき、私の弔報を受け取った時の一人一人の反応を想像して見るのも面白そうです。それにより賀状に書く事項が増えるかもしれません。 ざまあ見ろ。 あいつもくたばったか。 清々するね。 うるさいのがいなくなって、私の自由度が増えたね。 世の中が少しはよくなるだろう。 無理して日記にコメントする必要がなくなった。 そんなものでしょうね。 アイツまだ生きていたのか アッソウ もう一度会いたかった。 もっとあいつのノウハウを聞いておくのだった。 あの人がいないとお先真っ暗。 惜しい人を亡くした。 尊敬できる人が次第に減ってきたなあ。 もう私は生きていく意味がなくなった。 年賀状を書きながら、彼は何と云うだろう…と一人一人について想像して見ましたが、ほとんどの人は「アッソウ」ぐらいだろうな…と思えました。順番にこの世を去って行っても、格別の事ではない年齢層に達したわけです。 賀状を書く参考にはなりませんでした。 ただ、高校で同じクラスにいた友人が、高校一年の時に寄越した賀状に「お互いに死なんようにしよう」と書いてよこしました。何故かそれを思い出し、彼宛の賀状にはそれを引用しました。 . |