無駄を省く…と云われて反対する人はいないでしょう。あれは無駄だから止めようと云われて反対する人はそれを無駄と思っていないからです。
無駄かどうかの意見は人によって違います。無駄な時間を節約しようとファーストフードで食事を済ませる人と、食事はスローフードでなくっちゃあ…という人は何が無駄かの価値の評価が反対方向むいているわけです。
時間を節約するために車で突っ走る人と、ゆっくり景色を眺めながらあるく人(私は車を運転しながらキョロキョロと脇見運転ですが)。
税金の無駄遣いをなくすことには何の異論もありませんが、無駄の判定方法についてはマニフェストにはなかった。
八ツ場ダムはこれまでのことは兎も角として、中止することによる、地方自治の負担金を返却し、すでに進んだ構築物を危険がないようにこれから後始末処理し、村の生活が維持できるように処置することと、ダム建設を継続するのとどちらが今後の税金の使い方がムダなのか。建築の目的(洪水対策と水源用途)の経済効果と、何だかあそこは維持費(草津温泉から流れてくる、硫黄を含む酸性の水の中和とそれによって生じたヘドロの除去費用が膨大だとも聞いた)も考慮してプラスマイナスを明らかにしてくれないと、詳細を知らない我々は如何とも判断できない。
役人も政治家も自分たちの決定への非難が起こらないように、それらのデータを秘めたままである。従って、政府の約束違反である…との地方行政と鳩山政権の言い合いだけになっており、一般はだんまり。
情報が公開されないと、民主主義は成立しないですね。マスコミは又聞き情報を公開して騒ぐだけで、真実調査には無関心のようですが。真実調査はムダと思っているのでしょう。
報道には何が重要で何がムダかについて、私の意見はマスコミとは異なるようです。
これから検証する…という一方で、中止決定を変えることはないとのこと。変更することはないのなら検証作業そのものがムダではないのだろうか。