終戦の年に生まれた私は、多くの方の犠牲で作っていただいた平和の中で
育ちました。
叔父が戦死したり、父が徴兵されたり戦争の悲しみをたくさん耳にしました。
戦後の平和な生活を守るのは今の人々の責任ですね。
こころして過ごしたいと思います。
土曜日、生涯学習センターでありました。平成14年から夏休みを利用して宇治市の小学生が平和都市を回る平和訪問団員、今まで沖縄長崎などを訪問されたそうですが今年は約40名が8月5日から広島に訪問、原爆の子の像に千羽鶴を奉納、被爆体験者の講話を聴いたり平和記念資料館の見学のあと、6日の原爆記念式典に多くの人達と参列した報告を聞きました。第2部は映画『硫黄島からの手紙』を観ました。平成18年、硫黄島の地中から発見された大量の手紙妻など愛する人を残して子供さえ見ずに戦地に行った男たち、昭和19年の硫黄島というと最終決戦反戦を切々と訴える映画でした。ところで、何回も書いているのでしっているひともあるかと・・・昭和18年太平洋のど真ん中で父の乗った鎌倉丸が撃沈、六千の人達と海に投げさせれ5昼夜放浪のあと発見されますが、飢えと喉の渇きから小便も飲んだと冊子に書きました。生存者はわずか数名と確認されました。だからこそ、障害者の私は8月になると反戦の文章を書くのです。
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