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2011年10月09日(日) 
信仰する宗教の秋の大祭がある今月、久しぶりに、そして初めて一人で西舞鶴
にある私の教会に行きました。昨日はお天気もよく、山陰本線から眺めるコスモスもとても綺麗でした。お祭り(祭典)後、会長さんのお話し(講話)は出直し(死)の話しから入られました。kさんなどメル友の一部にはご存知のように私は魂は不滅と考えています。信仰する宗教では、古くなった着物から新しい着物に変えるようなものと教えられていますが、この「考え方」は解りやすいと、キリスト教など他信仰からも注目されているのだと会長さんは話されました。ところで、みなさんの知人や親戚などに障害者とその親が1人や2人おられるのではないでしょうか。親御さんは生前の母のように重度であればあるほど夜も寝られないほど親無き後のわが子に悩んでおられるはずです。又、思春期ごろになるともう、パニック、プロであるケースワーカーに相談しても「ないものねだりはやめて、もう少し大人になりなさい」。印判をおした同じようなことしか言ってもらえないのです。61歳の私は人間は不公平はないと実感しています。だから、特定の宗教に入りなさいとは言いません。ただ、他人(ひと)に喜ばれることを・・・自分は不幸なのに・・・かならず、言われるでしょう。私はたいした事はできなかったけれど、自分も重い障害を持ちながら社協の「茶だんご」に所属し手話や点字をされていた教会の娘さんも私は知っています。今回は少し生意気になったけれど、親も妻子もない私の拙文が何かの参考になれば幸いです。
 

閲覧数1,692 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2011/10/09 13:17
公開範囲外部公開
コメント(1)
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  • 2011/10/09 19:52
    こんばんは

    古くなった着物から新しい着物に変えるようなもの・・・
    何とも明確で目の前がパッと晴れ渡る表現でしょうか。
    感動しました。
    次項有
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