高島屋に行きました。山崎豊子社会派小説を書かせたら右に出るものがないといわれる彼女の作品、昨年3回忌でもあり、ようやく京都にやってきました。最近日本映画チャンネルでも平幹二朗や山村聰の『不毛地帯』や『華麗なる一族』の連続テレビドラマを見ていたので楽しみにしていました。彼女は大阪船場の昆布問屋に生まれ毎日新聞に就職します。その時上司であった井上靖に「人間はなぁ、みな一編の小説が書けるんだよ、君も身の回りのことなら書きやすいよ」。それで、船場の昆布屋の小説『暖簾』が処女作になり続く呉服屋の『花のれん』は直木賞とか。私が一番落ち込んでいたのは昭和57年ごろだったと・・・その時父が「たかしの気持ちと母ちゃんと同じやででぇ、そのまま原稿用紙に書いたらわ」。それが楠昇先生の目に留まりプログの基礎を教えてもらいました。同時に私のボランティアのお手伝いもリングします。何年かして周りが幸せそうになったころ母が言いました。「みんなに幸せになってもらいなさい、たかしは最後でいいんだから」と。1月18日までです。昨日の歩数10916歩
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