美術館「えき」KÝOTOに行きました。天保10年生まれの芳年、13歳から歌川国芳に入門します。幕末から明治にかけて浮世絵の需要が失われた当時において最も大成した絵師であることから「最後の浮世絵師」と呼ばれました。初期の彼の作品は武者絵、歴史絵、合戦絵が中心で、又、ここのコーナーでは一部残酷な作品が含まれているのでお子達にはご留意のうえ、気の弱い方はご遠慮をお勧めしますのただし書きが3ヵ所もある部屋もありました。次第に錦絵、美人画と作風も変化し姓も「大蘇」などなのって晩年は月給100円で新聞社の挿絵の仕事もします。連作の「月シリーズ」は圧巻でした。4月23日までです。昨日の歩数6137歩
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