国立博物館に行きました。友松、狩野永徳や長谷川等伯と並びそうせられる桃山画壇の巨匠とありますが、未熟な私は初めて知りました。パンフによると浅井家の家臣の家に生まれ若年東福寺で過ごしますが父は信長に滅ぼされるとあります。そして、狩野派の門をたたきます。今、遺る作品のほとんどは狩野派独立後60代以降の作品ですが作品は何故か署名がありませんでした。晩年の彼の得意とした『雲龍図』の障壁画など狩野派や等伯とは異なる水墨画など独自の手法を確立しましたが、彼の名は今あまり広がっていないも確かですとガイドは教えてくれました。最後のコーナーでアメリカから60年ぶりに帰国した最晩年の『月下渓流図屏風』あの感動心に焼き付いています。5月21日までです。昨日の歩数7015歩
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