昨日家のポストを開けるとグリーンの封筒が、『今年も八十八夜が近づき,、、』と近くの茶問屋の挨拶状などが入っていました。郵貯のプログからご覧の人はご存じですが、私は昭和50年から平成9年まで21年間母に包装などを手伝ってもらい、自宅で茶舗の看板を上げ宇治茶の小売をしていました。お茶は毎日使うものでも、毎日買うものではないので家庭用は何とかお客として来てもらえましたが、お使い物は配達が多く店になく、急ぐ時は宇治橋通りの問屋まで仕入れて届けました。車も運転できない私は電車とバスそして「歩き」でした。雨の日は長靴を履いてビニールをかぶせた商品を保護しながら、また、汗かきの私は真夏Tシャツがグショグショになりました。そして、八十八夜後の一週間は初摘み五〇キロ余を全国に発送するため、父とともに夜なべをしました。結局父の高齢と消費税が上がったことで店は閉店しましたが、母に手伝ってもらった二一年間はお金の値打ちを学ぶだけでなく数えきれないぐらい多くの事を学びました。最近安易にお金を稼ぐため暗い事件が新聞などを賑わしますが、お客さんに頭を下げることでお金を学べばもっと事件が減ると私は思います。
|