そうでしたか。
還暦、おめでとうございます。
生を受けてから、21915日目ですね。
お父様、お母様、きっとそうだと思いますよ。
素敵な御両親で良かったですね。
我が子を自立させるのが、親の務めですものね。
また明日から、明るい方向を見て歩いて行ってください!
最近の虐待報道は本当に辛いですね。
一方では、年金詐欺ぽいし・・・
どうなってるんでしょうね。
我が日本。
昭和25年8月4日、舞鶴の市民病院で、青白い仮死状態で生まれてきた私、もちろん産声も全くあげなかったそうです。普通の赤ちゃんと違うところがありすぎる、まもなく、検診で医師より告げられた病名は「脳性小児麻痺」。告げられ障害者と全く無縁だと思っていた母はどう育てたら、いっそ2人で、「心中」この言葉を真剣に考えたのは2度や3度ではないと言いました。父母とも悩みに悩んだ結論は障害があっても何とか生きていける人間に、だったそうです。それには、義務教育、今と違い、就学猶予の言葉があった時代、自分を犠牲にして教育を受けさせてくれました。(以前と重なるところ省略)そして、お金の価値を学ぶため、茶舗という私の働く場で21年間陰で支えてくれました。その間にあった「思春期」。私もとても辛かったけれどそれ以上父母は悩んでいたのを今の私なら理解できます。そして、今日は60歳の誕生日、朝、ヘルパーさんたちの寄せ書きとカードが届きました。最近毎日のように報道される可愛くて丈夫な子供を与えてもらいながら虐待し殺す世の中、私の周りの多くの善意に囲まれながら明日から歩いていきます。
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