高島屋で開かれています。1893年生まれの一政、彼は最初文学から出発しています。武者小路実篤ひきいる白樺派に属しゴッホやセザンヌを研究しかたわら、詩を同人誌や雑誌に作品を投稿します。21歳の時、知人の当時貴重とされていたヨーロッパ土産に貰った油絵具で描いた処女作『酒蔵』が岸田劉生の目に止まり画家生活を始めます。その後、顔が黒くてブスだけど私にとって最大の妹と発表した『野娘』でしだいに注目されるようになります。でも、美術学校に行っていないコンプレックスが常にあったといいます。そのため、神奈川にアトリエを構え海岸を連日描き自信がつくと同時に海岸の描き方が違ってくるのも面白かったです。又、新聞小説『人生劇場』の挿絵や向田邦子の『あ・うん』の装丁など精力的仕事をこなします。晩年は信州の山の写生に費やし薔薇の絵だけでも百点とも二百点とも言われているそうです。おもしろかったのは作品を邪魔するのは額である、額にも絵具でえがいたのは恐らく彼だけでしょう。彼は人生を井戸に例えています。掘っても、掘っても石や汚い土ばかり無駄なことなので挫折したりやめてしまおうと何回もあったんだよ、今日だけ、、、いや、明日も、、どれだけ思ったことか、その時ふっと純粋な湧き水がコンコンと涌いてきたんだよ、と。明治、大正、昭和そして、平成と一世紀近く生きた人間が言わしめた「言葉」だと思いました。 |