嘘という名の、創造・想像なのでしょうね。
深いですね、何度も読み返しました。
丸ごと本音を投げかけたり、表現することは、残酷なことだと思うこと・・確かにありますね。
京都国立博物館近くの真言宗の総本山、智積院僧侶の修行の場、講堂襖絵完成を記念して奉納された田渕俊夫氏の展覧会が京都高島屋で開かれています。昨日は午後2時より田渕画伯がトークされる事が解っていましたので1時間ほど前に出かけゆっくり作品を観ました。すべて墨の濃淡だけで朝日、夕日桜などや四季を鮮やかに表現されていました。ゆっくり見ているうち人が集まりだし、やがて定刻になりました。現在東京芸大副学長をされている関係上関東での活動をされている画伯、実は母親が舞鶴など、京都ととても縁が深いと本題に入られました。そして、襖絵がこの先百年、二百年と酸化による変色を防ぐための苦労話、油絵などと違い失敗の効かない墨絵の難しさ、勤務の合間をみて炎天下、富士山麓の薄のスケッチに通ったお話しでしたが、私が一番興味をもったのは朝日や夕日桜などじっくり見ると矛盾がありほぼすべての作品は架空の風景で本当の感動を表現するにはどうしてもウソが必要と言われたことです。実は平成に入って私の誕生日に亡くなられましたが私に生きる力と書く歓びを教えてくれた随筆家の楠昇先生が「政治家と文筆家は嘘つきだよ。私の本に書いたことの半分以上はウソ、本当の事を書くと傷を付ける場合があるのできをつけなさいよぉ」。最近でも教育テレビの俳句番組で女性講師が「私の作品はウソが多いんですよ」と話されていましたが、芸術家は嘘がお好きだと思いました。
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