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2017年04月18日(火) 
文字を書く時、左手で強く抑えるよう書くので、昭和40年代の学生時代、テレビcМで某メーカーが「途中書けなくなったら販売店で交換キャンペーン」をやっていたので、2回ほど交換してくれた購買部のおばちゃん、3回目は「あんたは強く書きすぎや、もうアカン」。ニガイ顔をされたこともあります。その後、どのボールペンを使っても・・・・。ところが、ヨーカ堂で売っていたゼブラのボールペン、相性がいいのか最後の1滴まで使え80円の替え芯で長年愛用してきました。閉店前に何本かボールペンもストックしましたが、連日チラシの裏にヘルパーさんの用事を書くので1

閲覧数1725 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2017/04/18 16:23
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2017年04月16日(日) 
国立博物館に行きました。友松、狩野永徳や長谷川等伯と並びそうせられる桃山画壇の巨匠とありますが、未熟な私は初めて知りました。パンフによると浅井家の家臣の家に生まれ若年東福寺で過ごしますが父は信長に滅ぼされるとあります。そして、狩野派の門をたたきます。今、遺る作品のほとんどは狩野派独立後60代以降の作品ですが作品は何故か署名がありませんでした。晩年の彼の得意とした『雲龍図』の障壁画など狩野派や等伯とは異なる水墨画など独自の手法を確立しましたが、彼の名は今あまり広がっていないも確かですとガイドは教えてくれました。最後のコーナーでア

閲覧数1573 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2017/04/16 12:59
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2017年04月09日(日) 
美術館「えき」KÝOTOに行きました。天保10年生まれの芳年、13歳から歌川国芳に入門します。幕末から明治にかけて浮世絵の需要が失われた当時において最も大成した絵師であることから「最後の浮世絵師」と呼ばれました。初期の彼の作品は武者絵、歴史絵、合戦絵が中心で、又、ここのコーナーでは一部残酷な作品が含まれているのでお子達にはご留意のうえ、気の弱い方はご遠慮をお勧めしますのただし書きが3ヵ所もある部屋もありました。次第に錦絵、美人画と作風も変化し姓も「大蘇」などなのって晩年は月給100円で新聞社の挿絵の仕事もします。連作の「月シリーズ」は圧

閲覧数1593 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/04/09 14:52
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2017年04月02日(日) 
高島屋に行きました。日本を代表する老舗デパート、天保2年京都で呉服屋としてうぶ声を上げましたが、竹内栖鳳が若き頃ここで着物の下絵の仕事をしていたことをご存知の人もあるでしょう。ほかに、横山大観、富岡雪斎、川合玉堂・・・高島屋で仕事をした画家を中心とした1万5千点も所蔵している史料館から展示されています。又、琳派で有名な神坂雪佳も高島屋で染色の仕事をしていたことを私は初めて知りました。近年改築された歌舞伎座の緞帳も高島屋が納品したとか。最後のコーナーは創業者飯田家と4代新七の娘とトヨタ自動車創業者の結婚の時身にまとった振りそでと

閲覧数1642 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/04/02 13:50
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2017年03月26日(日) 
昨日コンサートホールであった演奏会、京響創立60周年のフィナーレを飾って広上淳一氏指揮でマーラーの交響曲第8番を休憩なしの90分演奏されました。この作品は別名『千人の交響曲』と言われ初演された1930年はオーケストラ合唱計1030人だったとか。彼は尊敬するベートーベンの第九をお手本に作られたと言われているそうです。昨日はソプラノテノール、バスなどプロと京響コーラス、市少年合唱団など総計500人の普段客席の舞台後部を潰しての大所帯で、第九を上回るフィナーレに相応しい演奏会でした。お昼を兼ねた植物園、つばき展をやっていました。島根

閲覧数921 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2017/03/26 13:21
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2017年03月18日(土) 
さっき生涯学習センターから帰って来ました。平成18年11月に文化センターから誕生してちょうど10年になる今年記念のオフ会が開かれたからです。うさぎょんさん司会であんじんさん、浮き雲さんの開会挨拶のあと、10年分のスライドが映され皆さんの隠れた才能によるステージライヴやがんばれ種田さんの笑いのヨガとストレッチ体操で本当に楽しませてもらいました。私は10年前の文化センターには参加しましたが、なぜか平成19年5月4日から郵貯クラブのtakashi123が第1号になりました。その後廃止などにより、お茶っと移らせてもらいました。皆さんほとんどご存知の

閲覧数2269 カテゴリ日記 コメント9 投稿日時2017/03/18 18:44
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2017年03月12日(日) 
住友家経営の泉屋博古館から送ってきたÐМで今月から開催のギャリィートークをされるのを知り昼食後だったので2時10分前会場にはいりました。すでに20人ぐらいの人が待っていてまもなく年輩の学芸員さんが来られました。手持ちの字引きの隠遁には世事を逃れて隠れることとあるように原稿を書いたとされるパネルには世間の俗事を逃れ・・・とあり皆さんは最近流行りの「ねくら」「現実逃避」など悪いイメージを持っておられるのではないでしょうかと始められました。そして、室町時代の雪舟筆の『漁樵問答図』から・・魚釣りと木こり隠遁生活をおくる代表として2人に会

閲覧数1610 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2017/03/12 14:31
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2017年03月06日(月) 
「たかしさん」。昨日1時半ごろ、ブログを書き上げてイズミヤへお昼を食べに行こうと歩き始めていてこの声で振り返りました。私たちのお母さん的存在の大仏さんが半年ぶりぐらいに愛用の自転車から降りてニコニコされていました。「これからボランティアで買い物を届けに行くの、サンドイッチを作ったので食べてもらおうと思って・・・おかずもあるよぅ、お昼に間に合って本当に良かったぁ」。ブログは少しご無沙汰ですが、先日もトキオ社長さんが窓から富士山が見える見えるマンションに引っ越したので遊びに行ったり忙しくされているそうです。コーヒーと共に手作りのサ

閲覧数1247 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2017/03/06 14:33
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2017年03月05日(日) 
先日夕のNHk京都『きょうコレ』で文化博物館の紹介があり、東京で14万人も人出があったというので行ってみました。14世紀末から約100年間東西に分かれ熾烈な論争が起こりました。時代は室町幕府が衰え上杉謙信、武田信玄、毛利元就、織田信長などが有力大名が争います。その頃の武具、甲冑絵画、鐘など250点が集められています。これらは大河ドラマなどで繰り返し描かれていますが、一部の学者によると教科書に少なからず誤りがあると指摘しているとか。私は戦の仏『泥足毘沙門天立像』がガイドを聴いておもしろいでした。このころは今につながる村や町が成立

閲覧数2465 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/03/05 13:04
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2017年02月26日(日) 
前回http://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1194515 の西福寺に続いて今回はテレビの旅番組でよくででくるけどまだ行ってなくて特別公開されるのがチャンスと思いました。岡崎道のバス停で降り中学の級友の家があるので久しぶりに友を想いながら細道を歩きました。何人か聞いたと思います。すごく大きなお寺にぬけました。まず、御影堂で説明を受けました。ここは平安後期法然が念仏を広げるために開いた道場で別名「くろ谷さん」と親しまれ、幕末
会津藩主松平容保が本陣を構えたところ、でも、火災により戦時の昭和19年再建されたと話されました。大方丈に移り容保の甲冑や書を見た

閲覧数1877 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/02/26 13:31
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